概要
ソルブ人は、ドイツ東部のラウジッツ地方を故郷とする西スラヴ系の人々です。
ラウジッツ地方は、現在のザクセン州東部とブランデンブルク州南部を中心に広がっています。ソルブ人は、およそ1500年前からこの地域に暮らしてきた人々の子孫であり、ドイツでは法的に保護される四つの「古くから定住する国民的少数派」の一つとして認められています。
ソルブ人は、大きく上ラウジッツの上ソルブ人と、下ラウジッツの下ソルブ人に分けて説明されます。
上ラウジッツでは上ソルブ語、下ラウジッツでは下ソルブ語が発達しました。二つの言語はともに西スラヴ語派に属しますが、それぞれ異なる標準語、綴り、発音、文学の伝統を持っています。
ソルブ人の人口は、一般に約6万人と推定されています。そのうち約4万人がザクセン州の上ラウジッツ、約2万人がブランデンブルク州の下ラウジッツに暮らすと説明されています。
ただし、ドイツではソルブ人であることを証明させる民族調査は行われていません。ソルブ人としての帰属は本人の自由な自己認識に基づくため、この数字は国勢調査による確定人数ではなく推計です。ザクセン州のソルブ人資料
現在のソルブ人は、昔ながらの衣装を着て農村だけで暮らしている人々ではありません。
ドイツ語を中心に生活する人、家庭や地域でソルブ語を話す人、成人後にソルブ語を学び直す人、都市で教育、芸術、行政、研究、報道、企業活動などに関わる人がおり、ソルブ人としての暮らし方は多様です。
居住地と地域ごとの人々
ラウジッツ地方
ラウジッツは、ドイツ語ではLausitz、上ソルブ語ではŁužica、下ソルブ語ではŁužycaと呼ばれます。
歴史的なラウジッツ地方は、現在のドイツとポーランドにまたがっています。ただし、現在ソルブ人の伝統的居住地域として法的に保護されている中心地域は、ドイツのザクセン州とブランデンブルク州にあります。
ラウジッツには、森林、農地、河川、湿地、湖、村落、工業都市など、多様な景観があります。
特にブランデンブルク州のシュプレーヴァルトは、多数の水路と湿地によって知られ、下ソルブ語ではBłotaと呼ばれています。
一方、ラウジッツは長年にわたり褐炭採掘と発電の中心地でもありました。露天掘りによって移転または消滅した村もあり、土地、墓地、教会、言語共同体のつながりが失われた地域があります。
上ラウジッツ
上ラウジッツは、主にザクセン州東部に位置します。
文化的な中心地として知られるのが、ドイツ語でバウツェン、上ソルブ語でBudyšinと呼ばれる都市です。
バウツェンには、ソルブ博物館、ドイツ=ソルブ民族劇場、ソルブ研究所、ソルブ文化財団、出版社、Domowinaの本部など、文化・教育機関が集まっています。
上ソルブ語が比較的強く受け継がれている地域の一つが、バウツェンとカーメンツ周辺のカトリック地域です。家庭、教会、幼稚園、学校、地域行事などで上ソルブ語が使われる村があります。
ただし、上ラウジッツに住むすべてのソルブ人がカトリック信者であるわけではありません。プロテスタントの地域、宗教を持たない人、ドイツ語を主に使用する家庭もあります。
下ラウジッツ
下ラウジッツは、主にブランデンブルク州南部に位置します。
文化的な中心地は、ドイツ語でコットブス、下ソルブ語でChóśebuzと呼ばれる都市です。
コットブスには、下ソルブ語の教育・文化機関、博物館、図書館、ラジオやテレビの制作拠点などがあります。
下ラウジッツでは「ソルブ人」だけでなく、「ソルブ人/ウェンド人」という呼称が公式に使用されています。
下ソルブ語は、家庭で第一言語として受け継ぐ話者が減少し、ヨーロッパでも特に危機的な状態にある少数言語の一つとされています。
一方、幼稚園、学校、成人向け講座、放送、出版、デジタル教材などを通じて、下ソルブ語を学び直し、使用する人も増やそうとしています。ブランデンブルク州のソルブ人・ウェンド人資料
中間地域と地域差
上ソルブと下ソルブの文化は、明確な一本の境界線によって分けられるものではありません。
ホイエルスヴェルダ周辺やシュライフェ地域などには、上ソルブと下ソルブの間に位置する言語的・文化的特徴があります。
伝統衣装、方言、歌、踊り、宗教行事、復活祭の習慣なども地域ごとに異なります。
ソルブ文化の地域区分としては、下ラウジッツ、上ラウジッツのカトリック地域、ホイエルスヴェルダ周辺、シュライフェ地域などが挙げられます。
そのため、一つの衣装や行事を「すべてのソルブ人に共通する伝統」と説明することはできません。
都市部と故郷の外のコミュニティ
教育、仕事、結婚、家族の移住などを通じて、ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒなど、伝統的居住地域の外で暮らすソルブ人もいます。
都市に住むことによって、ソルブ人としてのアイデンティティが失われるわけではありません。
都市部でも、家族、文化団体、学生組織、音楽、文学、オンライン活動、ラウジッツで行われる行事への参加などを通じて、文化的なつながりが保たれています。
呼称について
英語のSorbsは、ソルブ人を表す複数形の名詞です。
民族と関係する文化や言語を表す形容詞にはSorbianが使われるため、英語のページ名としては「Sorbian People」が自然です。「Lusatian Sorbs」という呼称も広く使われています。
ドイツ語ではSorbenと呼ばれます。
上ソルブ語では、ソルブ人をSerbja、下ソルブ語ではSerbyと表します。
SerbjaやSerbyは、バルカン半島のセルビア人を表す英語のSerbsと似ていますが、ソルブ人とセルビア人は同じ民族ではありません。言語的には、どちらもスラヴ語派に属するという広い関係があります。
Wends、ドイツ語のWendenという名称も、歴史的に西スラヴ系の人々を表す呼称として使われてきました。
現在でも下ラウジッツでは、自分たちをWendsまたはWendenと呼ぶ人がおり、ブランデンブルク州の法律や行政では「Sorben/Wenden」という併記が使用されています。
そのため、Wendという言葉をすべての場面で誤った名称や侮蔑語と断定することは適切ではありません。ただし、地域や個人によって受け止め方が異なるため、本人や団体が使用する呼称を尊重することが大切です。ドイツ少数民族事務局のソルブ人資料
Linglobeでは、日本語名に「ソルブ人」、英語名に「Sorbian People」を使用します。本文では、下ラウジッツにおける「ウェンド人」という呼称についても説明します。
歴史とルーツ
ラウジッツへのスラヴ系住民の定住
現在のソルブ人につながる西スラヴ系の人々は、6世紀から7世紀頃に、現在のドイツ東部を含む地域へ定住しました。
当時の地域には、多数の小規模な部族や共同体が存在していました。
上ラウジッツのMilceni、下ラウジッツのLusiciなどは、歴史資料に記録されている集団です。ただし、これらを現在の上ソルブ人と下ソルブ人にそのまま対応させることはできません。
長い時間の中で、言語、集落、政治的支配、宗教、周辺住民との関係が変化し、現在のソルブ人につながる文化が形成されました。ソルブ研究所の歴史資料
中世の政治的変化
中世になると、ラウジッツ地方は東フランク王国や神聖ローマ帝国の勢力拡大、キリスト教化、ドイツ語を話す入植者の移住などから影響を受けました。
ラウジッツは時代によって、ボヘミア王冠領、ザクセン、ブランデンブルク、プロイセンなど、異なる支配者や国家のもとに置かれました。
都市や行政ではドイツ語の使用が拡大しましたが、農村部を中心にソルブ系の言葉と習慣が維持されました。
その一方で、地域によってはソルブ語からドイツ語への言語交替が進み、ソルブ語が使用される範囲は次第に縮小しました。
宗教改革と文字文化
16世紀の宗教改革は、ソルブ語の文字文化にも影響を与えました。
聖書、教理書、祈祷書、賛美歌などを地域の人々が理解できる言葉で伝えるため、ソルブ語による翻訳と出版が進められました。
しかし、上ラウジッツと下ラウジッツでは、政治的支配、宗教、方言などが異なっていました。
そのため、一つの統一ソルブ語が作られたのではなく、上ソルブ語と下ソルブ語がそれぞれ異なる書き言葉として発達しました。
教会はドイツ語化を進める場合もありましたが、地域によっては、礼拝、賛美歌、教育を通じてソルブ語を伝える場所にもなりました。
19世紀の文化復興
19世紀には、ヨーロッパ各地で民族文化や言語への関心が高まりました。
ソルブ人の教師、聖職者、作家、音楽家、研究者も、民話、歌、言語、歴史、民族衣装などを記録し、新聞、書籍、辞書、文学作品を出版しました。
1847年には、ソルブ語、文学、歴史、文化の研究を進める学術・文化団体Maćica Serbskaが設立されました。Maćica Serbskaの公式資料
詩人のHandrij Zejler、作曲家のKorla Awgust Kocorをはじめ、多くの人物が近代ソルブ文化の形成に関わりました。
現在のソルブ民族歌として知られる「Rjana Łužica/Rědna Łužyca」も、この時代の文学と音楽から生まれました。
Domowinaの設立
1912年、複数のソルブ団体を結ぶ連合組織としてDomowinaが設立されました。
Domowinaという名称は、「故郷」や「家」を表すソルブ語に由来します。
教育、出版、文化活動、地域組織の連携を進め、ソルブ人の権利と文化を代表する組織として発展しました。Domowinaの歴史資料
ナチス政権下
ナチス政権は、ソルブ人を独自の民族として認めず、ドイツ人の一部として同化させようとしました。
ソルブ語による文化活動、出版、教育、団体活動は制限され、1937年にはDomowinaをはじめとするソルブ人の組織が禁止されました。
活動家、教師、聖職者などが監視、追放、拘束の対象となり、ソルブ語の公共空間は大きく縮小しました。
ただし、ソルブ語と文化が完全に消滅したわけではありません。家族、教会、村落などを通じて言葉や習慣を維持した人々もいました。
第二次世界大戦後と東ドイツ時代
第二次世界大戦後、ラウジッツ地方の大部分はドイツ民主共和国、通称東ドイツに含まれました。
ソルブ人の言語と文化は公的に認められ、ソルブ語学校、出版、研究機関、劇場、博物館、放送などが整備されました。
これはソルブ文化の継承に重要な役割を果たしました。
一方、文化団体は国家の管理下に置かれ、政治的に自由な活動が常に認められていたわけではありません。
工業化、都市化、ドイツ語中心の職場、人口移動も、家庭でのソルブ語継承に影響を与えました。
特にラウジッツの褐炭露天掘りでは、ソルブ人が暮らしてきた村が移転または撤去されました。建物だけでなく、隣人関係、方言、墓地、教会、地域行事など、土地と結びついた文化的環境も失われました。
ドイツ再統一後
1990年のドイツ再統一後、ソルブ人の権利はザクセン州とブランデンブルク州の憲法や法律によって改めて保障されました。
ソルブ人であることを表明する権利、ソルブ語を公共の場で使用する権利、文化・教育機関を維持する権利、伝統的居住地域で二言語表記を行うことなどが定められています。
法律では、本人によるソルブ人としての自己認識を行政が調査したり、証明させたりしてはならないことも明記されています。ザクセン州ソルブ法 ブランデンブルク州ソルブ/ウェンド法
1991年には、ドイツ連邦政府、ザクセン州、ブランデンブルク州の支援によって、ソルブ人の文化と言語を振興する財団が設立されました。
また、上ソルブ語と下ソルブ語は、欧州評議会の「地域言語または少数言語のための欧州憲章」に基づく保護の対象となっています。
文化
家族・地域社会・文化団体
ソルブ文化は、家族だけでなく、村、教会、学校、合唱団、ダンスグループ、スポーツ団体、劇場、博物館、出版、研究機関などを通じて受け継がれています。
家庭でソルブ語を第一言語として使用する人がいる一方、祖父母の世代は話せても、自分の世代では十分に話せないという人もいます。
学校や成人向け教室で言語を学び直し、子どもへ伝えようとする家庭もあります。
Domowinaは現在も、地域団体や文化団体を結ぶ代表組織として活動しています。
ただし、Domowinaに所属することがソルブ人であるための条件ではありません。組織との関わり方や民族的な自己認識は個人によって異なります。
宗教と地域差
キリスト教は、長い間ソルブ人の祭り、音楽、暦、言語教育に影響を与えてきました。
上ラウジッツの一部にはカトリックの伝統が強い地域があり、下ラウジッツや上ラウジッツのほかの地域ではプロテスタントの伝統が広く見られます。
教会は、礼拝、賛美歌、説教、行事を通じてソルブ語が使われる場所となる場合があります。
一方、すべてのソルブ人がキリスト教徒であるわけではありません。宗教を持たない人や、地域の習慣を文化行事として受け継ぐ人もいます。
伝統衣装
ソルブ人の伝統衣装は、一種類ではありません。
下ラウジッツ、カトリック系上ラウジッツ、ホイエルスヴェルダ周辺、シュライフェ地域などで、布、色、帽子、頭飾り、刺繍、スカートの形、着用方法が異なります。
同じ地域でも、日常、教会、結婚式、葬儀、祭り、若者の踊りなど、場面によって衣装が変わる場合があります。
衣装には、地域、年代、婚姻状況、行事における役割などが表れることもあります。
現在、伝統衣装を日常的に着る人は限られています。祭り、教会行事、舞台、結婚式、文化イベントなどで着用する人が多く、一般的な現代服で生活するソルブ人も当然います。ソルブ文化センターの衣装資料
鳥の結婚式
鳥の結婚式は、上ソルブ語でPtači kwas、下ソルブ語でPtaškowa swajźbaと呼ばれる子どもを中心とした行事です。
一般に1月25日を中心に行われます。
子どもたちは窓辺などに皿を置き、鳥たちからのお礼として、鳥や巣をかたどった菓子を受け取ります。
幼稚園や学校では、鳥の花嫁と花婿、さまざまな鳥に扮した子どもたちが、歌や踊りを交えながら結婚式を演じることがあります。
行事の形式や菓子の種類は地域や家庭によって異なります。
ZapustとZampern
下ラウジッツでは、冬の終わりから春の始まりにかけて、Zapustと呼ばれる祭りが行われます。
若者が地域の衣装を着て行列や踊りに参加し、家々を訪ねる地域があります。
Zampernは、仮装した人々や音楽隊が村を巡り、食べ物、卵、寄付などを集める習慣です。
これらは単なる観光パレードではなく、村の人々を訪ね、交流し、共同体のつながりを確かめる行事でもあります。
実施方法や参加者の役割は地域によって異なります。
復活祭と騎馬行列
復活祭は、ソルブ人の文化を代表する季節行事の一つです。
上ラウジッツのカトリック地域では、正装した男性たちが馬に乗り、教区から別の教区へ復活の知らせを伝える騎馬行列、Osterreitenが行われます。
参加者は祈りや賛美歌を唱えながら進みます。
これは競馬や観光用の演技ではなく、宗教的な巡礼と共同体の行事です。また、すべてのソルブ人が参加する習慣ではなく、主に特定のカトリック地域で受け継がれています。
復活祭にはこのほか、卵転がし、復活祭の水、歌、焚き火など、地域ごとに異なる習慣があります。Domowinaのソルブ文化遺産資料
装飾卵と手仕事
色鮮やかな復活祭の卵は、ソルブ文化を視覚的に表すものとして広く知られています。
装飾方法には、蝋で模様を防染して染める方法、色の付いた蝋を盛り上げる方法、染めた殻を削る方法、薬品を使って色を抜く方法などがあります。
太陽、植物、三角形、点、線などを組み合わせた模様が使われますが、模様の意味や配置は作り手、地域、技法によって異なります。
一つの模様を、すべてのソルブ人に共通する神聖な記号として説明することは適切ではありません。
装飾卵は家庭内で受け継がれるだけでなく、学校、博物館、工房、展示会、競技会などでも制作されています。Domowinaのソルブ復活祭卵資料
刺繍、織物、陶芸、木工、民族衣装の縫製なども、地域の手仕事として受け継がれています。
音楽・文学・舞台芸術
合唱と歌は、ソルブ語と文化の継承に重要な役割を持っています。
教会の賛美歌、民謡、舞踊音楽、合唱曲だけでなく、現代のロック、ポップス、ジャズ、ラップなどをソルブ語で表現する音楽家もいます。
19世紀以降、詩、小説、新聞、児童文学、演劇、言語研究など、多様なソルブ語の出版文化が発展しました。
現在のドイツ=ソルブ民族劇場では、ドイツ語、上ソルブ語、下ソルブ語による舞台作品や、学校向けの二言語公演が行われています。
ソルブ人の芸術は、伝統衣装や民謡だけに限られません。現代美術、映画、写真、デザイン、デジタルメディアなどを通じて、現在のラウジッツや少数言語話者としての経験を表現する人もいます。
食文化
ソルブ人の食文化は、ラウジッツの農村生活、季節、宗教行事、ドイツや周辺のスラヴ地域との交流から形成されました。
ジャガイモ、穀物、乳製品、野菜、肉、魚、亜麻仁油などを使う料理が見られます。
祭りや家族行事では、ケーキ、パン、菓子、卵料理などが作られます。鳥の結婚式で子どもへ贈られる鳥や巣の形をした菓子も、季節行事と結びついた食べ物です。
ただし、ラウジッツの料理と「ソルブ民族だけの料理」を明確に分けることは難しい場合があります。
同じ料理でも、ソルブ人とドイツ語を話す隣人の双方に親しまれていることがあります。食文化は、民族間の境界だけでなく、地域で長く続いてきた交流も表しています。
旗・シンボル
ソルブ人の旗
ソルブ人の旗は、上から青、赤、白を並べた横三色旗です。
この旗は、ザクセン州とブランデンブルク州の法律で、ソルブ人の色または旗として認められています。
ドイツの州や自治体を表す領域旗ではなく、ソルブ人の文化的・民族的な共同体を表す旗です。
青、赤、白は多くのスラヴ系民族が使用してきた色ですが、そのことはソルブ人がロシア人、セルビア人、チェコ人などと同じ民族であることを意味しません。
民族歌
ソルブ人の民族歌は、上ソルブ語でRjana Łužica、下ソルブ語でRědna Łužycaと呼ばれます。
日本語では「美しいラウジッツ」などと訳すことができます。
歌詞は上ソルブ人の詩人Handrij Zejler、旋律は作曲家Korla Awgust Kocorによるものです。
歌は、故郷ラウジッツ、ソルブ人のつながり、文化の継続を表現しています。Domowinaのソルブ民族歌資料
二言語の地名表示
ラウジッツの伝統的居住地域では、道路標識、駅、公共施設などに、ドイツ語と上ソルブ語または下ソルブ語の地名が併記されています。
Bautzen/Budyšin、Cottbus/Chóśebuzなどがその例です。
二言語表記は、ソルブ語が歴史的にこの地域で使われてきた言語であることを可視化しています。
ただし、二言語の標識がある町の住民全員がソルブ人であったり、ソルブ語を話したりするわけではありません。
装飾卵と伝統衣装
復活祭の装飾卵や地域ごとの衣装も、ソルブ文化を視覚的に表すものとして知られています。
しかし、装飾卵の模様や一種類の衣装を、ソルブ民族全体の公式紋章として扱うことはできません。
言語
ソルブ語は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派、西スラヴ語群に属します。
ポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語、カシューブ語などと広い言語的関係を持っています。
ドイツ語の方言ではなく、独自の語彙、音韻、文法、文学の伝統を持つ言語です。
長い間ドイツ語と接触してきたため、ドイツ語から取り入れられた単語や表現もあります。しかし、借用語が存在することは、ソルブ語がドイツ語から生まれたことを意味しません。
上ソルブ語
上ソルブ語は、上ソルブ語でhornjoserbšćinaまたはhornjoserbsceと呼ばれます。
主にザクセン州の上ラウジッツで使用されています。
西スラヴ諸語の中では、チェコ語やポーランド語と共通する特徴があります。標準語は、上ラウジッツの複数の方言と文学・宗教活動をもとに発達しました。
家庭や地域社会で活発に使用されている地域がある一方、ドイツ語が中心となった地域もあります。
下ソルブ語
下ソルブ語は、下ソルブ語でdolnoserbšćinaまたはdolnoserbskiと呼ばれます。
主にブランデンブルク州の下ラウジッツで使用されています。
ポーランド語に近い特徴を持つと説明されることがありますが、ポーランド語の方言ではありません。
下ソルブ語を子どもの頃から家庭で話す人は少なくなっています。そのため、学校教育と成人の第二言語学習が、言語を将来へ伝えるうえで特に重要になっています。
二つの言語の違い
上ソルブ語と下ソルブ語は互いに近い関係を持っていますが、単なる発音違いではありません。
綴り、語彙、音韻、文法の一部が異なり、それぞれ独自の辞書、教科書、新聞、文学作品があります。
一方の言語を話せば、もう一方を完全に理解できるとは限りません。
両言語はラテン文字を使用し、č、š、žなどの補助記号付き文字を使います。上ソルブ語と下ソルブ語では、使用する文字の一部も異なります。
また、現代ヨーロッパの言語では比較的珍しくなった「双数」を文法に残しています。双数は、一つを表す単数、複数を表す複数とは別に、二つの人や物を表す形です。
法的な位置づけ
上ソルブ語と下ソルブ語は、ドイツの少数言語として法的に保護されています。
伝統的居住地域では、行政機関や裁判所などでソルブ語を使用する権利が法律に定められています。
ただし、法律上の権利が存在していても、すべての窓口にソルブ語を話す職員がいるわけではありません。
教育を受けた教師、通訳、行政職員、報道関係者の不足は、実際に言語を使用できる環境へ影響します。欧州評議会も、教育、行政、司法、放送などで少数言語を使用できる環境の強化を求めています。欧州評議会のドイツ少数言語資料
教育とWITAJ
WITAJは、上ソルブ語と下ソルブ語で「ようこそ」を意味する言葉です。
WITAJ方式の幼児教育では、子どもたちが遊びや日常生活を通じてソルブ語に触れます。
家庭でソルブ語を話さない子どもも、幼稚園や学校でソルブ語を学ぶことができます。
地域には、ソルブ語を教科として学ぶ学校、ソルブ語とドイツ語の二言語で授業を行う学校、ソルブ語を中心に教育する学校があります。
ただし、教育方式や授業時間は学校と地域によって異なります。WITAJ言語センター
メディアとデジタル活動
上ソルブ語と下ソルブ語では、新聞、書籍、ラジオ、テレビ、ウェブサイト、動画、音楽などが制作されています。
MDRは上ソルブ語のラジオ・テレビ番組を、rbbは下ソルブ語の番組を放送しています。MDRソルブ語放送 rbbの下ソルブ語番組
近年では、オンライン辞書、学習アプリ、音声教材、SNSなども言語継承に利用されています。
SOTRAは、上ソルブ語、下ソルブ語、ドイツ語の間で翻訳を支援するデジタルツールです。DomowinaのSOTRA資料
デジタル技術だけで言語を復興できるわけではありませんが、日常的に読み書きし、学習し、発信できる場所を増やす役割を持っています。
基本的な表現
上ソルブ語では、次のような表現があります。
Dobry dźeń! は、「こんにちは」または「ごきげんよう」を表します。
Dźakuju so! は、「ありがとうございます」を表します。
Witajće k nam! は、「ようこそ」を表します。
下ソルブ語では、次のように表現します。
Dobry źeń! は、「こんにちは」を表します。
Źěkuju se! は、「ありがとうございます」を表します。
Witajśo! は、「ようこそ」を表します。
上ソルブ語と下ソルブ語では、似ている言葉でも綴りや発音が異なることが分かります。
伝統的な遊び・競技
Waleien
Waleienは、復活祭の卵を使って行う伝統的な遊びです。
地域や言語によって、Walkowanjeなど異なる名称で呼ばれることがあります。
土や砂で傾斜のあるコースを作り、色を付けた固ゆで卵を上から転がします。
自分の卵がほかの人の卵に当たった場合、相手の卵や賭けられた小さな品物を受け取るなど、地域ごとの規則があります。
特に下ラウジッツやシュライフェ地域で、子どもを中心とした復活祭の遊びとして行われています。
現在では、博物館、文化施設、地域行事などで体験できる場合もあります。DomowinaのWaleien資料
装飾卵の制作競技
復活祭の装飾卵は、遊びやスポーツとは異なりますが、技術と創造性を競う文化的な催しとして行われることがあります。
参加者は伝統的な技法を使いながら、新しい色、構図、模様も取り入れます。
作品は、技法、正確さ、構成、独創性などをもとに評価されます。
これは、伝統を固定された形で複製するだけでなく、現代の作り手が新しい表現を生み出す機会にもなっています。
現代のスポーツ活動
ソルブ人の活動は、伝統的な遊びだけに限られません。
Serbski Sokołは、ソルブ人のスポーツ団体を結ぶ組織です。Sokołはスラヴ系諸地域に広がった体育・スポーツ運動と関係する名称です。
歴史的なソルブ人のスポーツ組織は20世紀前半に活動し、ナチス政権下で解散させられました。現在のSerbski Sokołは1993年に再設立され、スポーツ大会、青少年交流、国際的な少数民族スポーツ行事などに参加しています。Serbski Sokołの公式資料
ただし、特定の競技がすべてのソルブ人を代表する「民族スポーツ」であるわけではありません。
Introduction video
よくある誤解
「ソルブ人はポーランドやチェコから最近移住した人々」
ソルブ人は、近年ドイツへ移住したコミュニティではありません。
現在のソルブ人につながる西スラヴ系住民は、およそ1500年前からラウジッツ地方に暮らしてきました。
現在のドイツ国境が成立する以前からこの地域に存在してきたため、ドイツでは「古くから定住する国民的少数派」として認められています。
「ソルブ語はドイツ語の方言」
上ソルブ語と下ソルブ語は、西スラヴ語群に属する言語です。
ドイツ語とは言語系統が異なり、独自の文法、語彙、綴り、文学を持っています。
ドイツ語から多数の言葉を取り入れていることや、多くの話者がドイツ語との二言語を使用することは、ソルブ語がドイツ語の方言であることを意味しません。
「上ソルブ語と下ソルブ語はまったく同じ」
二つの言語は近い関係を持っていますが、それぞれ異なる標準語です。
発音やアクセントだけでなく、文字、語彙、文法、文学、教育制度にも違いがあります。
「ソルブ語」という総称を使う場合でも、実際にはどちらの言語を指しているのか確認することが大切です。
「すべてのソルブ人がソルブ語を話す」
ソルブ人としての民族的な自己認識と、ソルブ語を話す能力は同じではありません。
家庭で流暢に話す人、学校で学んだ人、少し理解できる人、主にドイツ語を使う人、成人後に学び始めた人がいます。
話せないことだけを理由に、本人のソルブ人としての帰属を否定することはできません。
「Wendは必ず侮蔑的な呼称」
WendまたはWendenは、外部から使われてきた歴史的な名称です。
しかし、下ラウジッツでは現在も自称として使用する人がおり、ブランデンブルク州でも「ソルブ人/ウェンド人」が公式名称として使われています。
一方、この呼を好まず、Sorbsだけを使用する人もいます。
すべての人に同じ呼称を当てはめず、地域と本人の選択を尊重することが適切です。
「ソルブ人はいつも民族衣装を着ている」
伝統衣装を日常的に着る人は、現在では限られています。
多くの人は一般的な現代服で生活し、祭り、教会行事、舞台、結婚式などで地域の衣装を着用します。
また、ソルブ人の衣装は一種類ではありません。
観光写真に登場する華やかな衣装だけで、現代のソルブ人全体を説明することはできません。
現代のソルブ人
現在のソルブ人は、農村、地方都市、大都市など、さまざまな場所で生活しています。
教育、行政、研究、医療、工業、農業、観光、芸術、報道、IT、企業活動など、仕事も多様です。
上ソルブ語または下ソルブ語を第一言語とする人、ドイツ語との二言語を使う人、主にドイツ語を話す人、失われた家族の言語を学び直す人がいます。
文化継承の活動では、幼児向けのWITAJ教育、二言語学校、成人向け集中講座、辞書や翻訳技術の開発、出版、ラジオ、テレビ、演劇、音楽、博物館、地域行事などが重要な役割を持っています。
一方、ソルブ語を話す教師や職員の不足、家庭での言語継承の減少、若者の都市への移住などの課題があります。
下ソルブ語では高齢の第一言語話者が多く、言語の危機が特に深刻です。上ソルブ語も、比較的活発に使われる地域の外では、使用機会が減少しています。
褐炭採掘による村の移転と、石炭産業からの転換も、現在のラウジッツに大きな影響を与えています。
産業構造の変化は、雇用や環境の問題だけではありません。どの地域に人々が住み続けられるのか、二言語教育や文化施設をどのように維持するのかという、ソルブ文化の将来にも関係しています。
ソルブ文化は、復活祭の卵、騎馬行列、伝統衣装だけに存在するものではありません。
家庭で交わされる言葉、二言語の道路標識、学校、新聞、舞台、音楽、スポーツ、デジタルメディア、現代芸術、地域の政治参加などを通じて、ソルブ人は自分たちの文化を現在へつないでいます。
ソルブ人は、過去から残された小さな民族ではありません。
長い言語交替、政治体制の変化、戦争、工業化、村の移転を経験しながらも、ラウジッツを故郷とし、自分たちの言葉と文化を新しい形で次世代へ伝えている現代の人々です。