チャモロの人々

チャモロの人々 Visual Summary

概要

チャモロの人々は、西太平洋のミクロネシア地域に位置するマリアナ諸島の先住民族です。

主な故郷は、グアム(Guåhan)と、サイパン島、テニアン島、ロタ島などからなる北マリアナ諸島です。現在はハワイ、カリフォルニア、ワシントン州をはじめ、アメリカ本土や世界各地にもチャモロのコミュニティがあります。
チャモロの歴史は、ヨーロッパ人が到来するはるか以前から続いています。考古学的には、マリアナ諸島の最古級の居住遺跡が紀元前1500年頃までさかのぼることが確認されています。
古代のチャモロ社会は、外洋航海、漁業、農業、土器製作、織物、石造建築などに関する高度な知識を発展させました。特に、住居を支えた石柱であるラッテストーンや、高速で航行するアウトリガーカヌーは、チャモロ文化を代表する存在です。

その後、マリアナ諸島はスペイン、ドイツ、日本、アメリカなど複数の国による統治や戦争を経験しました。それでもチャモロの人々は、家族、土地、言語、食文化、音楽、航海技術などを受け継いできました。
現在のチャモロは、古代の文化をそのまま保存している人々ではありません。現代社会の中で生活しながら、伝統を再発見し、新しい形で次世代へ伝えている人々です。

居住地と地域ごとの人々

チャモロの故郷であるマリアナ諸島は、西太平洋に南北へ連なる島々です。
地理的にはミクロネシアに含まれますが、チャモロ語は周辺の多くのミクロネシア諸語とは異なる系統的特徴を持っています。

グアム(Guåhan)

グアムはマリアナ諸島の最南部に位置する島で、チャモロ語ではGuåhanと呼ばれます。

現在のグアムはアメリカ合衆国の未編入領域ですが、チャモロの人々は、アメリカ統治以前からこの島に暮らしてきた先住民族です。
グアムにはチャモロ以外にも、フィリピン系、その他の太平洋諸島系、アジア系、欧米系など、多様なルーツを持つ人々が暮らしています。そのため、「グアムの住民」と「チャモロ民族」は同じ意味ではありません。

北マリアナ諸島

北マリアナ諸島には、サイパン島、テニアン島、ロタ島をはじめとする島々があります。

これらの島々にもチャモロの人々が暮らしています。グアムと北マリアナ諸島のチャモロは、共通する歴史、言語、文化を持っていますが、植民地統治や教育制度の違いによって、言葉の発音、綴り、習慣などに地域差が生まれました。
北マリアナ諸島には、チャモロとは異なる先住民族であるRefaluwaschをはじめ、カロリン諸島にルーツを持つ人々も暮らしています。
チャモロとRefaluwaschは、ともに北マリアナ諸島の歴史と文化を形成してきましたが、それぞれ独自の言語、航海文化、系譜、アイデンティティを持つ別の人々です。

島外のコミュニティ

第二次世界大戦後、教育、仕事、軍務、家族の移住などを通じて、多くのチャモロがハワイやアメリカ本土へ移住しました。

現在では、マリアナ諸島の外にも大きなチャモロのコミュニティがあります。島外でも、文化団体、ダンスグループ、言語教室、家族行事、料理、音楽などを通じて、チャモロとしてのつながりが保たれています。

呼称について

グアムでは現在、民族とその言語を表す公式表記として「CHamoru」が広く使用されています。

大文字のCとHを組み合わせた「CH」は、チャモロ語の綴りでは一つのまとまりとして扱われます。グアムでは2017年に制定された法律と、その後の言語委員会の活動を通じて、「CHamoru」という表記が政府機関や教育現場で採用されるようになりました。
一方、北マリアナ諸島では「Chamorro」という綴りが現在も公式に使用されています。また、英語圏の書籍、博物館、統計、歴史資料でもChamorroという表記が広く残っています。
そのため、CHamoruとChamorroは、どちらか一方がすべての地域で誤りというわけではありません。
Linglobeでは、グアムの現在の公式表記を尊重してページ名に「CHamoru People」を使用し、本文では北マリアナ諸島や歴史資料で「Chamorro」という表記も使用されていることを説明します。
チャモロの人々を表す言葉として、taotao tåno’という表現もあります。これは「土地の人々」または「大地の人々」という意味を持ち、チャモロの系譜、土地、文化の深い結びつきを表しています。

歴史とルーツ

マリアナ諸島への最初の航海

マリアナ諸島の最古級の遺跡は、紀元前1500年頃までさかのぼります。

最初の人々は、外洋を越える航海技術を使って、島嶼部東南アジア方面からマリアナ諸島へ到達したと考えられています。
言語学、考古学、遺伝学の研究では、フィリピン諸島を含む地域との関係が指摘されています。ただし、最初の移動が一度だけだったのか、複数の移住や交流があったのかなど、詳しい経路については現在も研究が続いています。
初期の時代は、考古学でPre-Latte Eraと呼ばれています。この時代の遺跡からは、赤く彩色された土器、貝製の道具や装飾品、漁業や植物利用の痕跡などが発見されています。

ラッテ時代

西暦900年から1000年頃になると、マリアナ諸島ではラッテストーンを使った建物が造られるようになりました。

この時代はLatte Eraと呼ばれ、ヨーロッパとの本格的な接触が始まる17世紀頃まで続きました。
ラッテストーンは、地面に立てた石柱の上に、半球状または椀状の石を載せた構造です。複数のラッテストーンを並べ、その上に木造の住居や建物を建てていたと考えられています。
この時代には、沿岸部や内陸部に定住的な集落が形成されました。土地、農地、漁場などは家族や氏族の関係と結びつき、社会的な階層も存在していたことが、考古学資料や初期の記録から分かっています。

ヨーロッパとの接触

1521年、フェルディナンド・マゼランの船団がマリアナ諸島へ到達しました。これはヨーロッパ側の記録に残る最初期の接触ですが、チャモロの歴史の始まりではありません。

1565年にはスペインがマリアナ諸島の領有を宣言し、1668年にはグアムにカトリック宣教団と植民拠点が置かれました。
土地、宗教、子どもの教育、生活習慣などをめぐって対立が深まり、1668年頃から1695年頃にかけて、チャモロとスペイン勢力との間で武力衝突が続きました。
この時代、戦闘だけでなく、外部から持ち込まれた感染症、食料生産の混乱、強制移住などが重なり、チャモロの人口は急激に減少しました。
北部の島々に暮らしていた人々の多くは、スペインのreducciónと呼ばれる政策によってグアムやロタ島へ移されました。この移住は、祖先から受け継いだ土地、集落、系譜との関係に大きな影響を与えました。

スペイン統治下での文化の変化

スペイン統治は1898年まで続きました。

この時代にカトリック信仰、スペイン語由来の言葉、姓、料理、音楽、祭りなどがチャモロ社会へ取り入れられました。フィリピンやメキシコなど、スペイン帝国の各地域から来た人々との交流も文化に影響を与えました。
しかし、チャモロ文化がスペイン文化に置き換えられたわけではありません。人々は外来の制度や文化を取り入れながら、家族関係、土地とのつながり、相互扶助、言語などを独自の形で維持しました。

マリアナ諸島の分割

1898年の米西戦争後、グアムはスペインからアメリカへ割譲されました。

スペインは1899年に北マリアナ諸島をドイツへ売却しました。その結果、長く共通の歴史を持ってきたマリアナ諸島は、グアムと北部の島々に政治的に分けられました。
第一次世界大戦中の1914年、日本はドイツ領だった北マリアナ諸島を占領しました。その後、北マリアナ諸島は日本の委任統治領となり、サイパン島やテニアン島では、製糖業を中心とした大規模な開発が行われました。

第二次世界大戦

1941年12月、日本軍はアメリカ統治下のグアムを占領しました。

グアムのチャモロ住民は、移動制限、食料不足、強制労働、収容、暴力などを経験しました。日本軍によるグアム占領は、1944年7月にアメリカ軍が島を再占領するまで約2年7か月続きました。
北マリアナ諸島では、日本統治が1914年から続いていましたが、1944年のサイパン島、テニアン島などでの戦闘によって、多くの民間人が被害を受けました。
同じチャモロの人々でも、グアムと北マリアナ諸島では、戦争に至るまでの統治制度や戦争体験が異なっています。

戦後から現在まで

第二次世界大戦後、グアムは再びアメリカの統治下に置かれました。1950年のグアム自治基本法によって民政府が整備され、グアムの住民にはアメリカ市民権が付与されました。

北マリアナ諸島は国際連合の信託統治領を経て、現在はアメリカ合衆国と政治的関係を持つコモンウェルスとなっています。
現在、グアムと北マリアナ諸島は異なる政府と法制度を持っています。しかし、家族関係、言語、音楽、食文化、文化行事を通じた島々の交流は続いています。

文化

家族と相互扶助

チャモロ文化では、家族は個人の生活だけでなく、土地、社会的な責任、文化的なアイデンティティと深く結びついています。

親子や兄弟だけでなく、祖父母、おじ、おば、いとこなどを含む大家族が重要な役割を持っています。
古代のチャモロ社会では、系譜や土地の継承に母系的な要素が強かったと考えられています。時代とともに家族制度は変化しましたが、現在でも母親、祖母、年長者が家族や地域社会の中で大きな役割を担うことがあります。
チャモロ文化を表す重要な考え方の一つが、inafa’maolekです。
これは、人々がお互いを尊重し、助け合い、家族や地域社会の調和を保つという考え方です。単に「仲良くする」という意味ではなく、自分の行動が家族や共同体全体にどのような影響を与えるかを考える価値観でもあります。
Chenchule’は、結婚式、葬儀、病気、家族行事などの際に、金銭、食べ物、労力などを提供し合う相互扶助の仕組みです。支援を受けた家族は、別の機会にほかの家族を助けることが期待されます。
年長者はmanåmko’と呼ばれ、その経験や知識は大切にされています。

海と航海

マリアナ諸島は広い海に囲まれており、チャモロの祖先は高度な航海技術と造船技術を発展させました。

チャモロの航海用カヌーは、一般にプロアと呼ばれています。プロアにはアウトリガーと三角形の帆があり、船体の前後を入れ替えるようにして方向転換できる構造を持っていました。
ヨーロッパ人の初期記録では、チャモロのカヌーが非常に速く、海面を飛ぶように見えたことから、後に「Flying Proa」と呼ばれるようになりました。
Sakmanは大型の航海用カヌーを表すチャモロ語です。
スペイン統治以降、伝統的な大型カヌーの建造技術は次第に失われましたが、現在ではグアム、北マリアナ諸島、アメリカ本土のチャモロ・コミュニティなどで、カヌー建造と航海文化を復興する活動が行われています。

ラッテストーンと住居

ラッテストーンは、チャモロ文化を代表する建築遺産です。

ラッテは、柱となるhaligiと、その上に載せる椀状のtåsaから構成されます。これらを複数並べ、その上に木材や植物素材を使った建物を建てていました。
ラッテストーンは単独の石像や墓石ではなく、基本的には建物を支える構造物でした。周辺では住居跡、土器、道具、食物の痕跡、埋葬などが発見されています。
現在では、ラッテストーンは祖先、土地、文化の継続性を表すシンボルとして、グアムと北マリアナ諸島の公共施設、記念碑、ロゴ、芸術作品などに使われています。

漁業・農業・食文化

古代のチャモロは、沿岸漁業、外洋漁業、貝や海産物の採取、農業を組み合わせて生活していました。

タロイモ、ヤムイモ、パンノキ、ココナッツ、バナナ、米などが利用され、魚や貝類も重要な食料でした。
現在のチャモロ料理は、古代から利用されてきた食材に加え、スペイン、メキシコ、フィリピン、日本、アメリカなどとの交流から生まれた食材や調理法を取り入れています。
肉や魚介類を柑橘類、ココナッツ、香辛料などで調理するkelaguen、アチョーテで色を付けた赤い米、醤油や酢を使った料理などは、現在の家族行事やフィエスタでよく見られます。
食事を作り、家族や来客と分け合うことは、inafa’maolekやchenchule’の価値観とも結びついています。

織物と手仕事

ココナッツやパンダナスの葉を編む技術は、チャモロの日常生活に欠かせないものでした。

葉は、籠、敷物、帽子、扇、袋、屋根材、食べ物を包む容器などに利用されました。ロープ、漁具、網などにも植物の繊維が使われています。
現代では、工業製品によって実用品としての役割が減ったものもありますが、織物は文化教育、芸術、地域行事、観光、家族内での継承を通じて受け継がれています。

音楽・歌・物語

チャモロ文化には、物語、伝説、歌、詩、踊りを通じて知識を伝える伝統があります。

Kantan Chamoritaは、複数の歌い手が即興の歌詞を掛け合う歌唱形式です。歌い手は相手の言葉に機知やユーモアを交えて応え、歌を通じた会話や競い合いを行います。
時代によって、仕事、結婚式、家族の集まり、祭りなど、さまざまな場面で歌われてきました。
現代のチャモロ音楽には、伝統的な歌唱だけでなく、スペイン系の音楽、カントリー、ロック、レゲエ、ポップスなど多様な要素があります。チャモロ語の歌は、言語と文化を次世代へ伝える方法の一つにもなっています。

旗・シンボル

チャモロ民族全体を代表する、世界共通の公式旗はありません。
チャモロの人々が暮らすグアムと北マリアナ諸島には、それぞれ公式の旗があります。しかし、これらは地域政府や領域を表す旗であり、すべてのチャモロを代表する民族旗ではありません。

Flag of Guam
Flag of Guam

グアムの旗と紋章

グアムの旗には、中央にグアムの紋章が描かれています。

紋章の外形は、古代チャモロが使用した両端の尖った投石用の石、åcho’ atupatを表しています。
紋章の中には、海とハガニア湾周辺の風景、ココナッツの木、航行するプロアが描かれています。
ココナッツの木は島の生活と資源を、プロアはチャモロの航海技術と海とのつながりを表しています。


ラッテストーン

ラッテストーンは、チャモロの祖先、建築、土地、文化の継続性を象徴する存在です。
グアムだけでなく、サイパン、テニアン、ロタをはじめ、マリアナ諸島各地で遺構が確認されています。


スリングストーン

Åcho’ atupatは、両端を尖らせた投石用の石です。石灰岩、玄武岩、焼いた粘土などから作られ、植物繊維の投石器を使って投げられました。

古代には狩猟や戦闘に関係する道具であり、スペイン勢力との戦いでも使われました。
現在では、その形がグアムの紋章に取り入れられ、歴史と文化を表すシンボルになっています。


プロアとSakman

プロアやSakmanは、外洋航海、造船技術、島々の交流を象徴しています。
現代のカヌー復興活動では、単に古い船を再現するだけでなく、船の部位を表すチャモロ語、自然の読み方、共同作業、世代間の知識継承も重視されています。

言語

チャモロ語は、オーストロネシア語族のマレー・ポリネシア語派に属する言語です。

マリアナ諸島は地理的にはミクロネシアにありますが、チャモロ語は一般的なミクロネシア諸語の一つとして単純に分類できる言語ではありません。
言語学的には、フィリピンや島嶼部東南アジアの言語との古い関係が指摘されています。また、長い交流と植民地統治の歴史によって、スペイン語、フィリピン諸語、日本語、英語などから語彙を取り入れてきました。
特にスペイン語由来の単語が多く見られますが、チャモロ語の基本的な文法構造はオーストロネシア系の特徴を維持しています。そのため、チャモロ語を「スペイン語の方言」や、単純な「スペイン語系のクレオール」と説明することは適切ではありません。

公式言語としての位置づけ

グアムでは、チャモロ語と英語が公式言語として使用されています。

北マリアナ諸島では、チャモロ語、カロリニアン語、英語が公式言語です。
ただし、実際の使用状況は地域や世代によって異なります。家庭や地域社会でチャモロ語が広く使われている地域がある一方、英語を第一言語とする若い世代も増えています。

文字と表記

チャモロ語は、現在ではラテン文字を使って書かれています。

グアムの綴りでは、å、ñ、’などの記号を使用して、チャモロ語の発音を表します。
チャモロ語はもともと強い口承伝統を持つ言語でした。スペイン統治時代にラテン文字による記録が始まり、その後、地域ごとに綴り方が発展しました。
現在、グアムと北マリアナ諸島では異なる公式正書法が使われています。そのため、同じ言葉でも地域によって綴りが異なる場合があります。

言語抑圧と復興

アメリカ統治下のグアムでは、20世紀初頭に英語が行政と学校教育の中心となり、学校でチャモロ語の使用が制限された時期がありました。

この政策と戦後の社会変化によって、グアムではチャモロ語の世代間継承が弱まりました。北マリアナ諸島でも、戦後の教育や社会の変化によって英語の使用が拡大しています。
現在では、学校教育、辞書、正書法の整備、言語教室、音楽、ラジオ、動画、デジタル教材などを通じて、チャモロ語の復興が進められています。

基本的な表現

Håfa adaiは、グアムを中心に広く使われている挨拶です。「こんにちは」や「ようこそ」に近い意味で使われます。

Si Yu’os ma’åse’は、「ありがとうございます」を表す一般的な表現です。
これらの綴りや発音には地域差があるため、北マリアナ諸島の資料では異なる表記が使われる場合があります。

伝統的な遊び・競技

チャモロ文化では、遊び、競技、仕事、生活技術の境界が明確に分かれていない活動もあります。
漁業、投石、歌の掛け合いなど、もともとは生活や防衛に関係していた技術が、現代では文化競技や教育活動として行われることがあります。


Åcho’ Atupat

Åcho’ atupatを投げる技術は、古代には狩猟や戦闘と関係していました。
細長く両端を尖らせた石を、植物繊維などで作った投石器に入れて回転させ、遠くへ投げます。
現在では、危険を避けるための設備と規則を設けたうえで、距離や正確さを競うスポーツとして復興されています。グアムやマリアナ諸島の団体が、文化行事や国際的な先住民族スポーツ大会へ参加することもあります。
Åcho’ atupatは本来武器として使われた道具であるため、子どもの玩具として紹介するより、歴史的技術をもとにした現代の文化競技として説明する方が適切です。


Chongka’

Chongka’は、木製の盤に並んだ穴へ貝殻、小石、種などを入れて遊ぶ、マンカラ系のボードゲームです。
プレイヤーは決められた方向へ駒を一つずつ移し、自分の陣地へ多く集めることを目指します。数を数える力、先を読む力、戦略的な判断が必要です。
Chongka’と似たゲームは、東南アジア、インド洋地域、太平洋地域などに広く分布しています。グアムでは20世紀初頭の記録が残っており、それ以前に外部から伝わった可能性が考えられています。
そのため、Chongka’を古代チャモロだけに固有の遊びと断定することはできません。しかし、長い間チャモロの家庭や地域社会で親しまれ、現在ではチャモロ文化に根付いた遊びの一つとなっています。


Kantan Chamorita

Kantan Chamoritaは身体を使うスポーツではありませんが、即興の言葉と歌による伝統的な競い合いです。
歌い手は相手の歌詞に対して、その場で新しい歌詞を作って応えます。記憶力、語彙、ユーモア、リズム、物語を作る力が求められます。
これは娯楽であると同時に、チャモロ語と口承文化を伝える重要な表現でもあります。

現代のチャモロ

チャモロの人々は、過去の生活様式をそのまま続けている人々ではありません。
現在では、グアム、北マリアナ諸島、アメリカ本土などで、教育、行政、医療、観光、芸術、研究、軍務、企業活動、デジタルメディアなど、さまざまな分野に関わっています。
英語を主に使う人、チャモロ語と英語の両方を使う人、成人後にチャモロ語を学び直す人など、言語との関わり方も多様です。
文化復興の活動では、チャモロ語教育、辞書や教材の制作、ラッテ遺跡の保存、カヌー建造、航海、投石競技、織物、伝統料理、音楽、ダンス、口承史の記録などが行われています。
グアムでは毎年3月を中心に、Mes CHamoruと呼ばれる文化行事が行われています。島外のコミュニティでも、文化祭、家族の集まり、言語教室、音楽やダンスを通じた継承活動があります。
現代のチャモロ文化には、古代マリアナ諸島から受け継がれた要素だけでなく、スペイン、フィリピン、メキシコ、日本、アメリカ、その他の太平洋諸島との交流から生まれた要素も含まれています。
文化が変化してきたことは、チャモロとしてのアイデンティティが失われたことを意味しません。
チャモロの人々は、長い植民地統治、戦争、島々の政治的分割、移住、言語の変化を経験しながらも、家族、土地、言葉、相互扶助、文化的記憶を通じて、自分たちの文化を現在へつないでいます。

Sources (International Databases)

Guampediaのマリアナ諸島解説
グアム議会のCHamoru表記法
グアムの旗と紋章
チャモロ語正書法
国立公園局のグアム占領史
Guam MuseumのÅcho’ Atupat解説

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