概要
ヌーンガーの人々は、オーストラリア南西部を故郷とするアボリジナルの人々です。
その故郷はNoongar Boodjaと呼ばれ、西オーストラリア州の南西部に広がっています。現在のパース都市圏、スワン川流域、ウィートベルト、ジャラやカリの森林地帯、南西部と南部の海岸などが含まれます。
考古学的な資料から、ヌーンガーの祖先は少なくとも約45,000年前から、この地域で暮らしてきたことが確認されています。西オーストラリア州政府のNoongar Recognition Bill資料
ヌーンガーは一つの均一な集団ではありません。一般に14の地域・言語グループから構成されると説明され、それぞれが特定の土地、水域、家族、言語変種、文化的な責任と結びついています。
ヌーンガー文化では、土地を表すboodja、家族や親族を表すmoort、知識や学びを表すkaartdijinなどの考え方が重要です。土地は所有する物としてだけでなく、人間、祖先、動植物、水、季節、物語、文化的な責任が結びついた存在として理解されています。
ヌーンガーの人々は、六つの季節に関する知識、狩猟、漁業、植物採集、火を使った土地管理、歌、踊り、物語、道具製作などを発展させてきました。
一方、19世紀以降のイギリス植民地化によって、土地の収奪、武力衝突、虐殺、感染症、移動の制限、子どもの強制的な引き離し、言語の抑圧などを経験しました。
それでも、ヌーンガーの文化が失われたわけではありません。
現在のヌーンガーは、パースをはじめとする都市、地方都市、農村、沿岸地域などで現代的な生活を送りながら、家族、言語、土地、芸術、教育、地域組織を通じて文化を次世代へ伝えています。
居住地と地域ごとの人々
Noongar Boodjaは、西オーストラリア州南西部に広がるヌーンガーの故郷です。
その範囲は資料によって多少異なりますが、北はジュリアン・ベイ周辺から、内陸のウィートベルトを通り、南西海岸、アルバニー周辺、東はエスペランス方面まで続く地域として説明されています。
海岸、川、湿地、森林、草原、半乾燥地域など、Noongar Boodjaの自然環境は一様ではありません。
そのため、同じヌーンガーの人々でも、利用する食料、季節ごとの移動、住居、言葉、儀礼、土地管理の方法などに地域差があります。
現在の行政区画、都市、農地、私有地が作られる以前から、ヌーンガーの家族と地域グループは、それぞれのboodjaと関係を持ってきました。
14の地域・言語グループ
ヌーンガーは、一般に次の14の地域・言語グループから構成されると説明されています。
- Amangu
- YuedまたはYuat
- Whadjuk
- BindjarebまたはPindjarup
- WardandiまたはWadandi
- Ballardong
- NyakinyakiまたはNjakinjaki
- WilmanまたはWiilman
- KaneangまたはGaneang
- BibbulmunまたはPibelmen
- MinangまたはMenang
- KorengまたはGoreng
- Wudjari
- Njunga
名称と綴りは資料、地域、家族、正書法によって異なります。
また、これらの地域を地図上の固定された線で完全に分けられるわけではありません。婚姻、親族関係、交易、儀礼、季節的な移動などを通じて、隣接する地域の人々は長く交流してきました。Harvey Aboriginal CorporationのNoongar文化資料
パースとWhadjuk Noongar
現在のパース都市圏は、Whadjuk Noongarのboodjaに位置します。
パースはNoongar語の名称としてBoorlooと呼ばれることがあります。スワン川はDerbarl Yerrigan、カニング川はDjarlgarro Beelierなどの名前でも知られていますが、綴りや発音には違いがあります。
川、湖、湿地は、飲み水、魚、カメ、水鳥、植物、集会場所、移動路を提供する重要な存在でした。
パース中心部の周辺には、かつて多数の湖と湿地がありました。植民地化と都市開発によって、その多くが埋め立てられましたが、現在の公園や低地の一部には、かつての湿地の形が残っています。西オーストラリア博物館のパース湿地資料
現在、パースには大きなヌーンガー・コミュニティがあります。都市で暮らすことによって、WhadjukやNoongarとしてのつながりが失われるわけではありません。
南西部・南部・内陸部
マンジュラ、バンバリー、バッセルトン、マーガレット・リバーなどの沿岸地域には、Bindjareb、Wardandi、Bibbulmunなどの人々と関係するboodjaがあります。
アルバニーとその周辺は、主にMinangまたはMenang Noongarの故郷として知られています。
ノーサムをはじめとするウィートベルトでは、Ballardongをはじめとする地域グループが土地との関係を維持しています。
北部、内陸部、南部の境界地域では、複数のグループの家族関係や文化的な権利が重なる場合があります。
そのため、現代の町の名前だけで、その場所に関係するすべての家族と地域グループを決めることはできません。
現代の居住地
現在のヌーンガーは、パースだけでなく、ノーサム、ナロジン、マンジュラ、バンバリー、バッセルトン、アルバニー、エスペランスなど、多くの都市や町に暮らしています。
教育、仕事、医療、家族との合流などを通じて、Noongar Boodjaの外へ移住した人々もいます。
2021年に開始されたSouth West Native Title Settlementは、約20万平方キロメートルの地域と、およそ3万人のヌーンガーに関係する協定として説明されています。
ただし、この数字はSettlementに関する推計であり、世界各地に暮らすすべてのヌーンガーを数えた現在の総人口と同じではありません。
呼称について
Noongarは、人々自身が使用する呼称です。
Noongar語では、「人」「男性」「南西部のアボリジナルの人」などに関係する言葉として説明されています。ただし、その意味は地域、文脈、話者によって異なり、単純に一つの日本語へ置き換えることはできません。
Noongarのほかにも、Nyoongar、Nyungar、Noongah、Nyoongah、Nyungahなど、さまざまな綴りが使用されています。
これらは単純な誤記ではありません。
Noongar語は長く口承によって伝えられてきたため、英語の文字で記録する際に、記録者や地域によって異なる綴りが生まれました。さらに、現在の地域グループや言語教育でも複数の表記が使われています。
1980年代から1990年代に行われた言語会議では、学校教育に使用する共通正書法が話し合われました。1997年のMarribankでの会議ではNyoongarという綴りが支持されましたが、その後、学校教材ではNoongarという表記が広く採用されました。Noongar Boodjar Language Centreの正書法資料
そのため、NoongarとNyoongarのどちらか一方が、すべての地域で誤りというわけではありません。
Linglobeでは、現在広く使用されている表記の一つである「Noongar People」をページ名に使用します。
また、Noongarは西オーストラリア州に暮らすすべてのアボリジナルの人々を表す言葉ではありません。
西オーストラリア州には、Noongar Boodjaの外にも、それぞれ異なる言語、土地、歴史、アイデンティティを持つ多くのアボリジナルの人々が暮らしています。
歴史とルーツ
植民地化以前の社会
ヌーンガーの祖先は、少なくとも約45,000年前からオーストラリア南西部で生活してきました。
人々は海岸、河川、湿地、森林、平原、半乾燥地域などの環境を利用し、狩猟、漁業、植物採集、火を使った土地管理を組み合わせて暮らしていました。
季節に応じて移動することがありましたが、それは目的なく歩き回る生活ではありません。
各家族や地域グループは、特定の土地、水場、食料資源、集会場所、儀礼の場所と結びつき、どこへ、いつ、なぜ移動するかについての知識と規則を持っていました。
交易路を通じて、石材、道具、食料、装飾品、歌、物語、情報なども交換されました。
イギリス人の到来
1826年、イギリスは現在のアルバニーにあたるキング・ジョージ・サウンドへ軍事拠点を設置しました。
1829年には、現在のパース周辺にSwan River Colonyが建設されました。
初期には交易、案内、食料の交換、言語の学習なども行われました。しかし、イギリス側はヌーンガーの土地所有制度や文化的な権利を法的に認めず、土地を植民者へ割り当てました。
農地、牧場、町、道路、柵が拡大すると、ヌーンガーが利用してきた水場、狩猟地、植物採集地、移動路への立ち入りが制限されました。
家畜による植物や水場への被害、感染症、食料不足も、人々の生活へ大きな影響を与えました。
Yaganと抵抗
Yaganは、植民地化初期のWhadjuk Noongarの指導者として知られています。
土地と食料をめぐる対立が深まる中、Yaganや父親のMidgegoorooをはじめとする人々は、植民者による土地の占有へ抵抗しました。
Midgegoorooは1833年5月、裁判を受けないまま処刑されました。Yaganも賞金を懸けられ、同年7月に射殺されました。
Yaganの頭部は切り離されてイギリスへ送られましたが、ヌーンガーの代表団による長い返還運動の末、1997年に西オーストラリアへ戻され、2010年にNoongarの儀礼とともに埋葬されました。西オーストラリア州政府のYagan再埋葬資料
Yaganは単に「植民者を襲った人物」ではなく、土地、家族、Noongarの法と尊厳を守ろうとした抵抗の指導者として記憶されています。
Pinjarra Massacre
1834年10月28日、総督James Stirlingが率いる武装隊が、現在のピンジャラ周辺でBindjareb Noongarの人々を攻撃しました。
植民地側は長く「Battle of Pinjarra」と呼びましたが、現在では一般にPinjarra Massacreと呼ばれています。
亡くなった人の人数については、植民地側の記録とNoongarの口承史に大きな違いがあります。正確な人数を確定することは難しいものの、女性や子どもを含む多くのBindjareb Noongarが殺されたと考えられています。オーストラリア国立博物館のSwan River Colony資料
この出来事は、植民地化が平和的な土地の移転ではなく、武力と強制を伴う過程だったことを示しています。
保護政策と生活の統制
19世紀後半から20世紀にかけて、西オーストラリア州政府はアボリジナルの人々を管理するための法律を制定しました。
1905年のAborigines Actでは、Chief Protectorに子ども、雇用、移動、居住などを管理する大きな権限が与えられました。
同法のもとでは、政府がアボリジナルの子どもの法的な保護者となり、家族から引き離してミッション、施設、雇用先などへ送ることが可能になりました。Australian Human Rights CommissionのWestern Australia資料
ヌーンガーの人々は、町への立ち入り、仕事、賃金、結婚、移動などを制限されることもありました。
政府から「市民権証明書」などを取得しなければ、一部の権利を認められない時代もありました。しかし、その証明を得るために、家族やアボリジナル・コミュニティとの関係を断つよう求められる場合もありました。
Moore River Native SettlementとStolen Generations
1918年、パースの北にMoore River Native Settlementが設置されました。
当初は農業と教育の拠点として説明されましたが、実際には多くの人が強制的に収容され、子どもが家族から離されて寮で生活させられました。
少女たちは家事労働、少年たちは農業や肉体労働のための訓練を受けました。生活環境は厳しく、病気や栄養不足によって亡くなった人もいました。西オーストラリア州政府のMoore River Native Settlement史
Moore Riverのほかにも、Carrolup、New Norcia、Marribankなどの施設やミッションが、ヌーンガーの歴史と深く関係しています。
家族から引き離された人々とその子孫は、Stolen Generationsの一部です。
この政策は、家族関係、言語、土地とのつながり、名前、文化的な知識の継承へ、世代を越える影響を与えました。
Coolbaroo Leagueと権利運動
ヌーンガーをはじめとする西オーストラリア州のアボリジナルの人々は、政府政策を受け入れるだけの存在ではありませんでした。
1947年には、アボリジナルの活動家や帰還兵らによってCoolbaroo Leagueが設立されました。
Coolbaroo Clubのダンスは、アボリジナルの人々が多くの公共施設から排除されていた時代に、家族や友人が集まれる重要な場所となりました。
Leagueは社交活動だけでなく、政府への陳情、若者の活動、事業、新聞の発行などにも関わりました。
1953年から発行されたWestralian Aborigineは、西オーストラリア州でアボリジナルの人々が自分たちの経験、権利、政治的な要求を発信した初期の新聞です。西オーストラリア州立図書館のCoolbaroo League資料
South West Native Title Settlement
長い土地権運動と交渉を経て、ヌーンガーの人々と西オーストラリア州政府はSouth West Native Title Settlementを締結しました。
2016年には、Noongar Recognition Actによって、ヌーンガーの人々が西オーストラリア州南西部のTraditional Ownersであることが州法で正式に認められました。
Settlementは六つのIndigenous Land Use Agreementsから構成され、2021年2月25日に正式に開始されました。
この六つのAgreement Groupsは、Yued、Whadjuk People、Gnaala Karla Booja、Ballardong People、South West Boojarah、Wagyl Kaip and Southern Noongarです。
これらはSettlementを運営するための広域的な区分であり、伝統的な14の地域・言語グループと完全に同じ分類ではありません。
Settlementには、土地、資金、Noongar Boodja Trust、地域法人、文化遺産の保護、土地と自然環境の共同管理などが含まれています。西オーストラリア州政府のSouth West Native Title Settlement資料
この合意は重要な法的承認ですが、植民地化によって失われたすべての土地が返還されたことや、すべての問題が解決したことを意味するものではありません。
文化
Boodja・Moort・Kaartdijin
Noongar文化を理解するうえで重要な言葉の一つがboodjaです。
Boodjaは一般に「土地」や「Country」と訳されますが、地面だけを表す言葉ではありません。
川、海、空、動植物、祖先、物語、墓地、季節、文化的な責任などが結びついた故郷全体を表します。
Moortは、家族、親族、家族を通じた関係を表す言葉です。
Noongar社会では、親子や兄弟だけでなく、祖父母、おじ、おば、いとこ、年長者などを含む広い親族関係が重要です。
Kaartdijinは、知識、学び、理解などに関係する言葉です。Noongar kaartdijinには、言語、土地、季節、植物、動物、家族、歴史、儀礼などに関する知識が含まれます。
知識は個人が自由に所有する情報とは限りません。家族、地域、年齢、役割によって、誰が知り、誰に伝えられるかが異なる場合があります。
六つの季節
ヌーンガーの季節暦には、六つの季節があります。
- Birak――おおよそ12月から1月
- Bunuru――おおよそ2月から3月
- Djeran――おおよそ4月から5月
- Makuru――おおよそ6月から7月
- Djilba――おおよそ8月から9月
- Kambarang――おおよそ10月から11月
ただし、この月の区分は西洋暦と対応させた目安です。
本来の季節は、日付ではなく、風向き、雨、気温、植物の開花、鳥の行動、爬虫類の活動、水位、食料の状態などによって判断されます。
そのため、同じ季節でも年や地域によって始まる時期と長さが変化します。
例えばBirakは雨が減り、朝の東風と午後の海風が見られる時期で、伝統的には土地を小さな区画に分けて焼くmosaic burningが行われました。
Bunuruは暑さが強く、海岸、川、河口で魚介類を利用しやすい時期です。
Makuruは寒さと雨が強まる時期で、DjilbaとKambarangには多くの植物が花を咲かせ、動物の繁殖や子育てが見られます。オーストラリア気象局のNyoongar Seasonal Calendar
六つの季節は、観光用の色分けやカレンダーだけではありません。いつ、どこで、どの資源を利用し、どの生物を保護するかを判断する知識体系です。
火と土地の管理
ヌーンガーの人々は、火を使ってboodjaを管理してきました。
Birakなどの適切な時期に、小さな区画を計画的に焼くことで、燃えやすい植物を減らし、大規模な火災の危険を抑えました。
火は、新しい植物の成長や種子の発芽を促し、動物の餌場を作り、人が土地を移動しやすくする役割も持っていました。
すべての土地を同時に焼くのではなく、異なる時期に小さな区画を焼くことで、植物の年齢や環境が異なる場所を組み合わせていました。
現在では、ヌーンガーの文化的な火の知識と現代の生態学、消防、自然保護を組み合わせる活動も行われています。
食文化
植民地化以前のヌーンガーは、狩猟、漁業、植物採集を季節に応じて組み合わせていました。
利用された食料には、カンガルー、エミュー、ポッサム、トカゲ、カメ、水鳥、魚、貝、淡水ザリガニ、卵、昆虫などがあります。
植物からは、根、塊茎、種、果実、木の実、花の蜜などが利用されました。
Banksiaの花から蜜を集めたり、湿地でbulrushの根を採取したりすることもありました。
Zamiaの種は毒を含むため、そのまま食べることはできません。水にさらすなど、長い時間をかけた専門的な処理が必要でした。
食料の知識には、食べられる種類を見分けるだけでなく、採取する季節、毒の処理、火の使い方、資源を取り過ぎないための規則も含まれています。
現在のヌーンガーの食生活には、一般的なオーストラリア料理や世界各地の料理も含まれます。伝統的な食材は、家族の食事、文化教育、現代料理、土地管理などを通じて利用されています。
住居とキャンプ
季節的な移動の際には、miaまたはmia-miaと呼ばれる小屋や風よけが造られました。
枝、樹皮、草、葉、土など、地域で入手できる材料が使用されました。
住居の形と向きは、雨、風、気温、滞在する人数や期間によって異なります。
一方、歴史記録には、湿地周辺に土や芝を使った頑丈な小屋、道、井戸などが存在したことも記されています。
そのため、すべてのヌーンガーが常に簡単な仮設小屋だけで生活していたと説明することは適切ではありません。
現在のヌーンガーは、都市や地方の一般的な住宅をはじめ、多様な住環境で暮らしています。
道具・衣服・手仕事
狩猟や漁業では、槍、槍投げ器、kylieと呼ばれる投げ具、棍棒、石器などが使われました。
植物採集や地面を掘る作業では、wanaと呼ばれる掘り棒が使用されました。
木材、石、骨、植物繊維、樹脂などを組み合わせ、用途に応じた道具を作っていました。
寒い時期には、カンガルーの皮などから作ったbukaと呼ばれる外套が利用されました。
皮は衣服だけでなく、袋や寝具などにも使われました。植物繊維からは、紐、籠、敷物、漁具などが作られています。
これらの道具は、単に「原始的な工芸品」ではありません。地域の材料、季節、動植物の性質を理解して作られた実用品です。
歌・踊り・物語・芸術
ヌーンガーの知識は、物語、歌、踊り、絵、身体表現、地名、家族の語りなどを通じて伝えられてきました。
物語は娯楽であるだけでなく、土地の特徴、行動の規則、家族関係、動植物、危険な場所、文化的な責任などを伝える方法でもあります。
ただし、すべての歌、物語、儀礼が一般公開されるものではありません。
家族や地域だけに伝えられる知識、特定の役割を持つ人だけが扱う知識、公開に許可が必要な場所や物語もあります。
現在では、文学、演劇、映画、ラジオ、現代音楽、絵画、デジタルメディアなども、Noongarの経験と言語を表現する重要な方法となっています。
旗・シンボル
ヌーンガー民族全体を代表し、すべての地域グループが共通して使用する公式旗は確認されていません。
South West Native Title Settlementに関係する六つの地域法人や、各地の文化団体には独自のロゴやデザインがありますが、それらはNoongar Nation全体の公式旗ではありません。
Australian Aboriginal Flag
Australian Aboriginal Flagは、1970年にLuritjaの芸術家Harold Thomasによってデザインされました。
黒はアボリジナルの人々、赤は大地とオーカー、中央の黄色い円は太陽を表します。
この旗はヌーンガーを含むオーストラリアのアボリジナルの人々に広く使用されていますが、ヌーンガーだけを表す民族旗ではありません。AIATSISのAustralian Aboriginal Flag資料
WaugalまたはWagyl
Waugal、Wagyl、Waagleなどの綴りで表される存在は、多くのNoongarの公開されている物語で、土地と水路の形成に関係する祖先的な存在として語られています。
特に川、泉、湿地、湖などの淡水と深い関係を持っています。
ただし、Waugalに関する物語は14の地域グループですべて同じではありません。また、公開されている説明が、その知識のすべてではありません。
Waugalは芸術や文化施設のデザインに使われることがありますが、Noongar Nation全体の公式紋章ではありません。
Maaliと水辺
Maaliは黒鳥を表すNoongar語の一つです。
黒鳥は川、湖、湿地と結びつき、Noongar Boodjaを視覚的に表す動物として使われることがあります。
しかし、黒鳥は西オーストラリア州のシンボルでもあり、一つの動物だけがすべてのヌーンガーを代表するわけではありません。
Balga・Mungart・六つの季節
Balgaと呼ばれるグラスツリー、Mungartと呼ばれるジャム・ガム、季節ごとに咲く花、川や湿地なども、Noongar Boodjaとの関係を表す要素として使用されています。
これらは文化的に重要な存在ですが、民族全体の公式紋章として固定されたものではありません。
言語
Noongar語は、オーストラリア先住言語の大きな系統であるPama–Nyungan語族に属する言語です。
より細かく見ると、一つの完全に均一な言語というより、オーストラリア南西部に分布していた複数の近縁な言語や方言からなる連続体として説明されます。
14の地域グループの間には、語彙、発音、文法、綴りなどの違いがあります。
そのため、現在「Noongar語」として教えられている表現と、特定の家族や地域で受け継がれている表現が異なる場合があります。
口承言語と文字
Noongar語は、もともと文字を必要とせず、会話、物語、歌、儀礼、土地での実践を通じて伝えられてきました。
ヨーロッパ人の到来後、英語のアルファベットを使った記録が作られました。しかし、記録者によって聞き取り方が異なったため、同じ言葉に複数の綴りが生まれました。
現在はラテン文字が使われていますが、Noongar、Nyoongar、Nyungarなど複数の正書法と表記習慣があります。
言語抑圧
植民地化、子どもの強制的な引き離し、ミッションや学校での英語中心の教育によって、Noongar語の世代間継承は大きな影響を受けました。
施設へ送られた子どもたちは、Noongar語を話すことや、Noongarの文化を実践することを禁じられたり、罰を受けたりする場合がありました。
差別や子どもの連れ去りを避けるため、家庭内でも子どもへ言語を教えないという苦しい選択をした家族もいました。
その結果、Noongar語を流暢に話せる人の数は減少しました。
ただし、言語が完全に消滅したわけではありません。単語、表現、地名、家族の語り、英語とNoongar語が結びついた話し方などが、さまざまな形で維持されてきました。
言語復興
現在はNoongar Boodjar Language Cultural Aboriginal Corporationをはじめ、地域団体、学校、大学、芸術家、家族が言語の記録と復興に取り組んでいます。
Noongar Language Centreでは、音声の記録、文字起こし、辞書、文法書、地域別の資料、学習教材などが作られています。Noongar Boodjar Language Centreの活動資料
Wirlomin Noongar Language and Stories Projectでは、南部の物語、歌、言語変種を、地域の家族が管理しながら書籍や音声資料として次世代へ伝えています。Wirlomin Noongar Language and Stories Project
Noongar語による歌、演劇、映画の吹き替え、ラジオ、デジタル教材なども制作されています。
基本的な表現
Kayaは、「こんにちは」や「はい」に近い意味で使われる言葉です。
Wanjuは、「ようこそ」を表します。
Boodjaは、「土地」または「Country」を表します。
Moortは、「家族」や「親族」を表します。
Kaartdijinは、「知識」「学ぶこと」「理解」などに関係する言葉です。
Moorditjは、「良い」「強い」「すばらしい」などの意味で使われます。
Boordaは、「後で」や「これから」に関係する言葉で、別れの表現に使われることもあります。
発音、意味、綴りは地域によって異なるため、これらをすべてのNoongar語変種に共通する唯一の形として扱うことはできません。
伝統的な遊び・競技
Noongar語で「遊び」や「遊ぶ時間」はwaabinyと表現されます。
伝統的な遊びには、娯楽だけでなく、狩猟、採集、観察、身体の動かし方、協力、危険を避ける方法などを学ぶ役割がありました。
子どもたちは、大人の活動をまねたり、年長者に見守られたりしながら、走る、登る、追跡する、投げる、避ける、記憶するといった能力を身につけました。
Boorna Jokee
Boorna Jokeeは、先端を丸めた槍を投げ、相手がそれを避けたり防いだりする遊びとして記録されています。
槍を投げる側は正確さと力加減を学び、避ける側は反応、身のこなし、盾や槍投げ器の使い方を練習しました。
これは本物の戦闘ではなく、若者が安全に技術を学ぶための模擬的な活動でした。
現在、教育やスポーツ活動で再現する場合は、槍の代わりに柔らかいボールや安全な用具を使用します。
Wana
Wanaは、伝統的に少女たちが行った遊びとして記録されています。
一人の参加者がwanaと呼ばれる掘り棒を持ち、地面に置かれた短い棒を守ります。
ほかの参加者は、小さな棒、木の実、草で作った球などを投げ、守る側はwanaを使ってそれを打ち返したり、防いだりします。
遊びを通じて、植物採集に使う道具の扱い、反応、正確さ、手と目の協調を学びました。
Meetcha Boma
Meetcha Bomaは、棒を使って赤いガムナッツなどを打ち、決められた方向や目標へ進めるチーム遊びとして記録されています。
打つ力だけでなく、方向、タイミング、協力が必要です。
ただし、記録されているルールは地域や時代によって異なります。現在のホッケーやクリケットと似て見える場合がありますが、同じ競技ではありません。
そのほかの遊び
記憶を競う遊び、木登り、レスリング、走る競争、追跡、動物の動きをまねる遊びなども行われました。
狩猟や採集の技術と子どもの遊びは、完全に分けられていたわけではありません。
Collections WAの地域資料には、Boorna Jokee、Wana、Meetcha Bomaのほか、記憶、レスリング、木登りなどの活動がNoongarの遊びとして紹介されています。Collections WAのNoongarスポーツ資料
現在「Traditional Indigenous Games」として学校で行われている競技には、Noongar以外の人々に由来する遊びも含まれています。
オーストラリア全体の先住民族スポーツを、すべてNoongar固有の遊びとして紹介しないことが重要です。
よくある誤解
「Noongarは西オーストラリア州の先住民全員を表す」
Noongarは、西オーストラリア州南西部を故郷とする人々の呼称です。
州の北部、中部、東部には、Noongarとは異なる言語、土地、文化、アイデンティティを持つ多くのアボリジナルの人々が暮らしています。
「Noongarは一つの均一な部族」
Noongarは、共通する文化的・言語的関係を持つ人々ですが、一般に14の地域・言語グループから構成されます。
地域、家族、言語変種、土地との関係を無視して、すべてのNoongarを一つの均一な集団として説明することはできません。
「六つの季節は二か月ずつの固定カレンダー」
西洋暦の月は、六つの季節を理解するための目安です。
本来は、風、雨、気温、開花、動物の行動などを観察して季節を判断します。
気候や地域によって、各季節の長さと始まりは変化します。
「Noongarは目的なく移動する遊牧民だった」
季節的な移動は、食料、水、気候、家族、儀礼などに基づく計画的な活動でした。
家族と地域グループは、それぞれの土地に対する権利と責任を持っていました。
移動する生活と、土地とのつながりがないことは同じではありません。
「Noongar文化は植民地化によって消滅した」
植民地化は、土地、家族、言語、文化の継承へ大きな被害を与えました。
しかし、文化は家族の語り、言葉、土地の知識、食文化、芸術、政治活動などを通じて維持されてきました。
現在の言語復興や文化活動は、失われた文化を外部の人が新しく作っているのではありません。ヌーンガーの人々が、家族と記録に残された知識を取り戻し、現在の社会で発展させている活動です。
「アボリジナルの人なら誰でもWelcome to Countryを行える」
Welcome to Countryは、その土地のTraditional Owners、またはTraditional Ownersから許可を受けた人が行います。
一方、Acknowledgement of Countryは、先住民ではない人を含め、誰でも行うことができます。
Welcomeは訪問者を自分たちのCountryへ迎える文化的な権限に基づくもので、Acknowledgementは、その土地のTraditional Ownersへ敬意を示す行為です。Reconciliation Australiaの文化プロトコル資料
現代のヌーンガー
現在のヌーンガーは、過去の狩猟採集生活をそのまま続けている人々ではありません。
教育、医療、法律、行政、建設、農業、観光、自然保護、企業経営、研究、芸術、スポーツ、放送、デジタルメディアなど、多様な分野で活動しています。
パースのNoongar Radioは、音楽、ニュース、地域情報、文化、社会問題などを伝えるコミュニティ放送を行っています。
Yirra Yaakin Theatre Companyは、Noongar Nationを拠点とするアボリジナル主導の劇団として、Noongarの物語と言語を舞台で表現しています。Noongar語によるシェイクスピア作品の翻案なども制作されました。Yirra Yaakin Theatre Company
Noongarの作家、音楽家、俳優、映画制作者、美術家は、植民地化、家族、土地、都市生活、言語、未来などを現代的な作品として表現しています。
土地管理の分野では、レンジャー活動、文化的な火入れ、生態系の回復、文化遺産の調査、地名の復興などが行われています。
学校や地域団体では、Noongar語、六つの季節、土地の歴史、Welcome to Country、芸術などを学ぶ機会が増えています。
South West Native Title Settlementを通じて、六つの地域法人、Noongar Boodja Trust、Noongar Land Estateなど、新しい統治と土地管理の仕組みも整備されています。
一方、ヌーンガーの家族やコミュニティは、住宅、健康、教育、雇用、差別、司法制度、子どもの保護制度、文化遺産の破壊、土地や水へのアクセスなどの課題にも直面しています。
これらの問題は、すべてのヌーンガーに同じ形で存在するわけではありません。都市、地方、沿岸部、内陸部では、生活環境と必要とされる取り組みが異なります。
現代のヌーンガー文化は、博物館の道具や過去の物語だけに存在するものではありません。
パースの街、地方の町、川、湿地、森林、学校、家庭、劇場、ラジオ、企業、地域組織など、さまざまな場所で生きています。
長い植民地化と社会変化を経験しながらも、ヌーンガーの人々はboodja、moort、kaartdijin、言語、六つの季節、芸術、文化的な責任を通じて、自分たちの過去、現在、未来をつないでいます。