トレス海峡諸島民

トレス海峡諸島民 Visual Summary

概要

トレス海峡諸島民は、オーストラリア北東端のヨーク岬半島と、パプアニューギニア南岸との間に位置するトレス海峡を故郷とする先住民族です。

トレス海峡には、島、岩礁、砂州、浅瀬、サンゴ礁などが広がっています。現在、地域行政によって17の有人島が確認されており、それぞれの島には独自の家族、氏族、言語、歴史、海域とのつながりがあります。
そのため、「トレス海峡諸島民」は一つの均一な共同体を表す言葉ではありません。西部、中央部、東部、北部、内側諸島では、島の成り立ち、言語、食料、航海路、儀礼、歴史的経験などが異なります。
トレス海峡諸島民は、オーストラリアのアボリジナルの人々とともに、同国のファースト・ピープルズを構成しています。

しかし、アボリジナルの人々とトレス海峡諸島民は、同じ民族を表す二つの名称ではありません。それぞれ異なる歴史、文化、言語、土地と海の体系を持つ人々です。一方で、家族の系譜によって、自らをアボリジナルであり、同時にトレス海峡諸島民でもあると認識する人もいます。

トレス海峡諸島民の文化は、海、島、星、風、潮、サンゴ礁、魚、家族、祖先との関係を通じて形成されてきました。漁業、航海、交易、農業、歌、踊り、造船、彫刻、織物などに関する高度な知識が受け継がれています。

現在では、トレス海峡の島々だけでなく、ケアンズ、タウンズビル、ブリスベンをはじめとするオーストラリア本土の都市や地域社会にも、多くのトレス海峡諸島民が暮らしています。

トレス海峡諸島民は、島で昔ながらの生活だけを続けている人々ではありません。現代社会の中で教育、医療、行政、芸術、漁業、環境管理、法律、研究、企業活動などに関わりながら、Ailan Kastomと呼ばれる島々の文化と、家族、言語、Sea Countryとのつながりを次世代へ伝えている人々です。AIATSISによるオーストラリアのファースト・ピープルズの解説

居住地と地域ごとの人々

トレス海峡とZenadth Kes

トレス海峡は、オーストラリアのヨーク岬半島とパプアニューギニアとの間に位置し、アラフラ海と珊瑚海を結ぶ海域です。

この地域には、英語のTorres Straitとは別に、Zenadth Kesという名称もあります。
Zenadth Kesは、トレス海峡諸島民の長老で言語研究者でもあったEphraim Baniによって広められた表現です。トレス海峡の四方から吹く風を表す複数の言葉を組み合わせた名称として説明されています。
現在、Zenadth Kesは、地域の人々、芸術家、文化団体、行政機関などによって使用されています。ただし、すべての島民があらゆる場面でTorres Straitの代わりに使用しているわけではありません。
トレス海峡諸島民は、自分を表す際に「トレス海峡諸島民」とだけ名乗るのではなく、Meriam、Erubam、Saibailgal、Mabuygilgalなど、島、地域、家族、氏族に基づく、より具体的なアイデンティティを使用することがあります。

五つの地域

トレス海峡の有人島は、一般に五つの地域に分けて説明されます。

Top Western Islands

北西部には、Boigu、Dauan、Saibaiがあります。
BoiguとSaibaiは、パプアニューギニア南岸に近い低く平坦な島です。湿地、マングローブ、潮の影響を受ける土地が広がり、高潮や海面上昇の影響を受けやすい地域でもあります。
一方、Dauanは花崗岩質の高い島であり、同じ北西部でも地形は大きく異なります。
これらの島々では、パプアニューギニア側の沿岸村落との親族関係、交易、婚姻、言語的な交流が長く続いてきました。

Western Islands

西部には、Badu、Mabuiag、Moaがあります。
MoaにはKubinとSt Paulsという二つの主要なコミュニティがあります。
西部の島々には岩山や比較的広い土地を持つ島があり、漁業、海上移動、真珠貝採取、庭畑での栽培などが生活を形成してきました。
Mabuiagでは、考古学的な調査によって少なくとも約7,300年前までさかのぼる人々の活動が確認されています。クイーンズランド州立図書館のMabuiag資料

Central Islands

中央部には、Iama、Masig、Poruma、Warraberがあります。
中央部の島々の多くは、サンゴ砂が堆積して形成された比較的低い島です。利用できる土地と淡水が限られているため、海、サンゴ礁、潮の流れ、季節風に関する知識が特に重要です。
島と島の間には広い海域があり、船による移動は、家族、学校、医療、仕事、行事などを結ぶ生活の一部です。

Eastern Islands

東部には、Mer、Erub、Ugarがあります。
東部の島々は火山活動によって形成された高い島を含み、中央部のサンゴ島とは地形や植生が異なります。
Merには、Eddie Koiki MaboをはじめとするMeriamの人々が暮らしてきました。Mer、Dauer、Waierと周辺海域は、1992年のMabo判決と深い関係を持っています。
東部ではMeriam Mirが伝統的に使用されてきました。

Inner Islands

オーストラリア本土に近い内側諸島には、Kirriri、Muralug、Ngurupai、Waibenがあります。
Waibenは英語でThursday Island、NgurupaiはHorn Island、MuralugはPrince of Wales Island、KirririはHammond Islandと呼ばれています。
Waibenは、行政、商業、教育、医療、交通の中心として発展しました。真珠産業の時代には、日本、フィリピン、東南アジア、南太平洋などにルーツを持つ人々も移住し、多文化的な地域社会が形成されました。
また、トレス海峡南部には、アボリジナルの人々であるKaurareg Nationの伝統的なCountryがあります。
Kauraregの人々とトレス海峡諸島民は、海域、家族、交易、歴史を通じて深い関係を持っていますが、同じ民族ではありません。WaibenやNgurupaiに暮らすすべての先住民を、一括してトレス海峡諸島民と説明することはできません。
トレス海峡地域行政機構は、これら五地域に属する17の有人島を地域として示しています。TSRAによるトレス海峡地域の説明

ヨーク岬半島北部

ヨーク岬半島北端のNorthern Peninsula Areaには、BamagaとSeisiaを中心に大きなトレス海峡諸島民のコミュニティがあります。

20世紀、特に第二次世界大戦後、島の人口、雇用、行政、災害、家族の移住などを背景に、トレス海峡からヨーク岬半島へ移住した人々がいました。
BamagaやSeisiaに暮らす人々は、オーストラリア本土に住んでいても、祖先の島、家族、言語、儀礼とのつながりを維持しています。
Northern Peninsula Areaには、トレス海峡諸島民だけでなく、地域のアボリジナルの人々も暮らしています。

オーストラリア本土のコミュニティ

現在では、多くのトレス海峡諸島民がケアンズ、タウンズビル、マッカイ、ロックハンプトン、ブリスベンなど、クイーンズランド州各地で暮らしています。

さらに、シドニー、メルボルン、ダーウィン、パース、キャンベラなど、オーストラリア各地にもコミュニティがあります。
本土へ移住する理由には、教育、仕事、医療、スポーツ、家族との合流、住宅、交通などがあります。
本土で生まれ育った人も、家族の島を訪れ、葬儀、結婚式、Coming of the Light、言語活動、ダンス、音楽、料理などを通じて、トレス海峡諸島民としてのつながりを保っています。
都市に住むことによって、島民としてのアイデンティティが失われるわけではありません。

人口を示す統計

オーストラリア統計局による2021年6月30日時点の推計では、39,538人が「トレス海峡諸島民のみ」として、42,516人が「アボリジナルかつトレス海峡諸島民」として推計されています。

両方のカテゴリーを合わせると、何らかの形でトレス海峡諸島民として認識される人は82,054人になります。
ただし、この数字には、異なる島、氏族、言語、本土コミュニティに属する人々が含まれています。また、国勢調査上の民族的な自己認識は、島で暮らす人口や、伝統言語の話者数と同じではありません。オーストラリア統計局の2021年人口推計

呼称について

Torres Strait Islanderは、トレス海峡の島々に祖先、家族、文化的なつながりを持つ人々を表す名称です。

英語では、集合的な多様性を表すためにTorres Strait Islander Peoplesと複数形で書かれることがあります。

これは、トレス海峡諸島民が一つの島、一つの氏族、一つの言語だけから構成されているのではないことを示しています。
Aboriginal PeoplesとTorres Strait Islander Peoplesは、オーストラリアの二つの異なる先住民族群です。
「Aboriginal and Torres Strait Islander Peoples」という表現は、両方の人々を含める場合に使用されます。一方、トレス海峡諸島民だけについて説明する場面で、「Aboriginal」という言葉だけを使うことは適切ではありません。

また、Aboriginal and Torres Strait Islanderを短い頭文字だけで表すことは、人々の異なる名前とアイデンティティを見えにくくする場合があります。
「Thursday Islander」という呼び方も、トレス海峡諸島民全体の名称ではありません。Waiben、すなわちThursday Islandに暮らす人や関係を持つ人を表すことはできますが、ほかの島の人々を含む民族全体の名称ではありません。

Linglobeでは、地域全体について説明する際に「Torres Strait Islander Peoples」を使用し、必要に応じてMeriam、Saibailgal、Mabuygilgalなど、より具体的な島や地域の呼称を併記します。

歴史とルーツ

ヨーロッパ人の到来以前

トレス海峡諸島民の祖先は、ヨーロッパ人がこの海域へ到来するはるか以前から、島々と周辺海域で暮らしてきました。

考古学的な遺跡は、少なくとも数千年にわたる人々の居住と活動を示しています。島によって確認されている年代は異なり、Mabuiagでは約7,300年前までさかのぼる証拠が報告されています。
現在のトレス海峡は、海面が低かった時代にはオーストラリアとニューギニアを結ぶ陸地の一部でした。その後、海面が上昇し、島、海峡、浅瀬、サンゴ礁が形成されました。
人々は島の環境に合わせて、漁業、狩猟、植物採集、庭畑での栽培、航海、交易を発展させました。
トレス海峡は、オーストラリアとニューギニアを隔てる空白地帯ではありませんでした。島々を中心として、北と南、東と西を結ぶ人々の移動、婚姻、交易、物語のネットワークが存在していました。

ヨーロッパ側による記録

1606年、スペイン王室の航海に参加していたLuis Váez de Torresの船が、この海域を通過しました。

後にヨーロッパの地図上で海峡がTorres Straitと呼ばれるようになりました。
しかし、これはトレス海峡諸島民の歴史の始まりではありません。海域、島、航路には、それ以前から人々自身の名前と知識がありました。
その後、オランダ、イギリス、フランスなどの航海者、商人、捕鯨船、調査船が周辺を通過するようになりました。
外部から来た船との接触は、鉄製品、布、食料などの交換をもたらす一方、暴力、誘拐、感染症、資源の持ち去りにつながることもありました。

Coming of the Light

1871年7月1日、London Missionary Societyに関係する宣教師と南太平洋諸島出身の教師たちがErubへ到着しました。

Erubの長老Dabadが彼らを迎えた出来事は、キリスト教がトレス海峡へ広がる転換点となりました。
現在、7月1日はComing of the Lightとして各地で記念されています。教会での礼拝、歌、踊り、食事、家族の集まりなどが行われます。
Coming of the Lightは、地域によってKeriba Lagaw Buiyaという名称でも表現されます。
キリスト教の受容によって、宗教儀礼、暦、教育、婚姻、物の作り方などに大きな変化が起こりました。一部の古い儀礼や物品は放棄され、宣教師や博物館によって島外へ持ち出されたものもあります。
一方、トレス海峡諸島民がキリスト教を受け入れたことで、Ailan Kastomのすべてが消えたわけではありません。
家族関係、土地と海への責任、祖先の記憶、歌、踊り、島の知識は、キリスト教と結びつきながら新しい形で継承されました。
Coming of the Lightは重要な歴史ですが、トレス海峡諸島民の歴史や文化が1871年に始まったという意味ではありません。クイーンズランド州立図書館のComing of the Light資料

植民地への編入

1872年、クイーンズランド植民地は海岸から約60マイル以内にあるトレス海峡の島々を編入しました。

1879年には、残る多くの島々もクイーンズランドへ編入されました。
この境界は、島民自身の同意によって引かれたものではありません。島々の間にあった家族、交易、海域利用の関係を、植民地政府の領域へ組み込むものでした。
編入後も、人々は島の土地、海、家族、伝統的な法に基づく生活を続けました。しかし、植民地政府は次第に移動、労働、賃金、船、交易、居住地などへ介入するようになりました。

真珠貝・ナマコ産業

19世紀後半、トレス海峡では真珠貝とナマコの採取が大規模な産業となりました。

真珠そのものだけでなく、ボタンや装飾品の材料となる真珠母貝が重要な輸出品でした。
トレス海峡諸島民は、潜水、海底の地形、潮流、船の操縦に関する知識を持ち、産業を支える重要な労働力となりました。
一方、植民地企業による危険な労働、低賃金、借金、賃金管理、強制的な雇用などもあり、多くの人が事故や潜水病で亡くなりました。
日本、フィリピン、マレー地域、南太平洋諸島などからも、多くの潜水夫、船員、造船職人がトレス海峡へ来ました。
人々の定住と婚姻によって、特にWaibenでは多様な系譜を持つ家族が形成されました。現在のトレス海峡諸島民の中にも、島民としての系譜とともに、日本、フィリピン、南太平洋、東南アジアなどに祖先を持つ人がいます。

保護制度と生活への統制

20世紀初頭、トレス海峡諸島民は、クイーンズランド州の保護制度の下で強い行政的な統制を受けました。

政府の保護官は、島民の賃金、貯金、雇用、移動、船、結婚、交易などへ介入しました。島から移動する際に許可を必要とする場合もあり、夜間外出を制限する規則も設けられました。
「保護」という名称が使われましたが、実際には人々の自由と、自分たちで生活を決める権利を制限する制度でした。
その一方で、島民は政府の統制を一方的に受け入れていたわけではありません。家族や島の代表者を通じて交渉し、労働条件と自治の改善を求めました。

1936年の海上労働者ストライキ

1936年、トレス海峡の多くの船員と海上労働者が、政府による賃金管理、船への介入、移動制限などへ抗議して仕事を停止しました。

このストライキには地域の労働力の約70パーセントが参加したとされ、約9か月続きました。
人々は、自分たちで船員を選ぶ権利、稼いだ賃金を管理する権利、保護官の許可なしに生活を決める権利などを求めました。
ストライキを経て、島の議会と代表者による意思決定が強化されました。1937年には島々の代表者が集まる会議が開かれ、1939年の州法では、トレス海峡諸島民がアボリジナルの人々とは異なる集団として行政上認識されました。
ただし、これによって植民地的な統制が直ちにすべて終わったわけではありません。クイーンズランド州政府のWaiben歴史資料

第二次世界大戦

第二次世界大戦中、トレス海峡はオーストラリア北部の防衛において重要な地域となりました。

1941年にはTorres Strait Light Infantry Battalionが組織されました。
戦争後半までには、兵役に適した年齢のトレス海峡諸島民男性のほぼ全員が何らかの形で軍務に参加したとされています。人口に対する参加割合は、オーストラリアの地域社会の中でも特に高いものでした。
しかし、トレス海峡諸島民の兵士には、当初、同じ任務を担う白人兵士の約3分の1の賃金しか支払われませんでした。
兵士たちは1943年に差別的な待遇へ抗議し、その後、賃金は白人兵士の約3分の2まで引き上げられました。完全な未払い分の補償が行われたのは1986年です。
軍務は仕事と技術をもたらす一方、家族の分離、軍による土地利用、島からの避難なども引き起こしました。オーストラリア戦争記念館の先住民兵士資料

国境とトレス海峡条約

現在のオーストラリアとパプアニューギニアの国境は、トレス海峡諸島民とパプアニューギニア南岸の人々が長く利用してきた海域の中に引かれています。

国境の両側には、親族、婚姻、交易、儀礼による関係を持つ共同体があります。
1978年、オーストラリアとパプアニューギニアはTorres Strait Treatyに署名し、条約は1985年に発効しました。
条約によって国境と海域に関する制度が定められるとともに、伝統的な生活と海洋環境を守るProtected Zoneが設置されました。
指定された伝統的住民は、家族訪問、儀礼、交易、漁業、庭畑の利用など、認められた伝統的活動のために、一定の条件の下で国境を越えることができます。
これは誰でも自由に国境を越えられる制度ではありません。対象となる共同体、訪問目的、滞在範囲などに条件があります。
条約は国家の境界を定める一方、国境以前から続く家族と文化の関係を維持する仕組みでもあります。オーストラリア外務貿易省のTorres Strait Treaty資料

Mabo判決

トレス海峡諸島民の近現代史で重要な出来事の一つがMabo判決です。

1982年、MeriamのEddie Koiki Mabo、Reverend David Passi、Sam Passi、James Rice、Celuia Mapo Saleの5人は、Merと周辺の島々に対するMeriamの伝統的権利を認めるよう裁判を起こしました。
この訴訟では、土地が家族や氏族によって管理され、庭畑、境界、相続、責任に関するMeriamの法と慣習が存在してきたことが示されました。
1992年6月3日、オーストラリア高等裁判所は、Meriamの人々がMer、Dauer、Waierの大部分に対する伝統的権利を持つことを認めました。
この判決は、イギリスによる植民地化以前のオーストラリアが「誰のものでもない土地」であったとするterra nulliusの考えを否定しました。
判決を受け、1993年にはNative Title Actが制定され、アボリジナルおよびトレス海峡諸島民が、現在も続く伝統的な法と慣習に基づいて土地や水域への権利を主張するための制度が整備されました。
Mabo判決はEddie Mabo一人だけの個人的な裁判ではありません。5人の原告、Meriamの家族、長老、証言者、法律家、支援者によって進められた長い共同の取り組みでした。AIATSISによるMabo判決の解説

地域自治と現在まで

1994年、Torres Strait Regional Authorityが設立されました。

TSRAには、地域の社会、経済、文化、環境に関する計画を進め、Ailan Kastomを維持し、トレス海峡諸島民と地域住民の意見を政策へ反映する役割があります。
現在のトレス海峡には、地方自治体、島ごとのコミュニティ、伝統的所有者団体、Native Title法人、教会、女性団体、芸術組織、レンジャー組織など、複数の意思決定の仕組みがあります。
一つの組織や代表者が、すべての島と本土コミュニティを一括して代表しているわけではありません。

文化

Ailan Kastom

Ailan Kastomは、Yumplatokを通じて広く使われる表現で、「Island Custom」または「島々の慣習」に近い意味を持っています。

しかし、Ailan Kastomは、単に伝統的な衣服、踊り、料理を表す言葉ではありません。
家族への責任、年長者への敬意、子どもの養育、土地と海の利用、贈与、葬儀、婚姻、島の代表者による意思決定、キリスト教、祖先との関係などを含む、幅広い生活と価値観を表します。
Ailan Kastomの内容は、すべての島で同じではありません。
Merの法と慣習、Saibaiの家族制度、Mabuiagの海域利用、Waibenの都市的な生活では、実践の形が異なります。
文化を尊重するためには、Ailan Kastomを一つの固定された規則集として扱うのではなく、それぞれの島と家族に受け継がれている生きた制度として理解することが重要です。

家族・氏族・島

トレス海峡諸島民のアイデンティティは、家族、氏族、島、Sea Countryとの関係を通じて形成されます。

大家族には、親子や兄弟姉妹だけでなく、祖父母、おじ、おば、いとこ、養育を担う親族などが含まれます。
年長者は、家族の系譜、土地と海の境界、言語、歌、儀礼、歴史を伝える重要な役割を持っています。
同じ島に暮らす人々の間にも、家族や氏族によって異なる土地、庭畑、海域、儀礼上の責任があります。
そのため、島全体を一つの家族や一つの土地所有者として説明することはできません。

伝統的な子どもの養育

トレス海峡諸島民の家族には、親族間で子どもを託し、育て、家族関係を継承する伝統的な養育制度があります。

これは、子どもが捨てられたり家族から切り離されたりすることを意味するものではありません。
子どもは、親族関係、土地、島、祖先、社会的な責任を受け継ぐため、家族間の合意とAilan Kastomに基づいて育てられます。
長い間、オーストラリアの出生証明書や家族法は、この文化的な親子関係を十分に認識していませんでした。
2020年、クイーンズランド州はMeriba Omasker Kaziw Kazipa Actを制定しました。この法律によって、トレス海峡諸島民の伝統的な養育に基づく親子関係を、一定の手続きを通じて法的に認められるようになりました。クイーンズランド州の伝統的養育制度に関する公式資料

Sea Country

トレス海峡諸島民にとって海は、島と島を隔てる空間ではありません。

海は、家族、食料、航路、物語、祖先、権利、責任を結ぶCountryの一部です。
オーストラリアの先住民族に関する文脈でCountryという言葉は、単なる土地や国家を意味しません。陸地、海、空、動植物、祖先、人々の相互関係を含む存在です。
海域には、家族や氏族と結びついた漁場、サンゴ礁、浅瀬、航路、物語の場所があります。
海を利用する権利には、海を守り、資源を次世代へ残す責任も伴います。

航海と自然の知識

トレス海峡諸島民は、星、太陽、風、潮、波、海水の色、雲、鳥、魚の動きなどを読みながら島々の間を航海してきました。

浅いサンゴ礁、急な潮流、季節によって変化する風の中を移動するには、海域ごとの細かな知識が必要です。
航海の知識は、目的地の方向だけを覚える技術ではありません。
船を出す時期、潮が変わる場所、危険な岩礁、魚が移動する季節、嵐の兆候、家族が利用できる海域などを総合的に判断する知識です。
現在ではエンジン船、GPS、無線、気象情報も使用されています。しかし、現代の技術を使用することによって、伝統的な海の知識が不要になったわけではありません。

漁業・狩猟・庭畑

魚、貝、カニ、ロブスター、ナマコなどの海産物は、トレス海峡の食生活と交易に重要な役割を持ってきました。

ウミガメやジュゴンも、食料、儀礼、贈与、家族の集まりと深く関係する動物です。
ただし、すべてのトレス海峡諸島民が日常的にウミガメやジュゴンを捕るわけではありません。現在の捕獲は法律、Native Title、地域の管理計画、種の保全などと関係しています。
島民のレンジャーや伝統的所有者は、個体数の調査、海草藻場の保全、海洋ごみの回収、持続可能な利用などにも関わっています。
東部の高い島や、土壌と淡水を利用できる島では、ヤムイモ、タロイモ、バナナ、ココナッツ、サトウキビ、果物などが栽培されてきました。
低いサンゴ島では農地と淡水が限られるため、食料の得方は異なります。
現在の食生活には、伝統的な海産物や栽培植物だけでなく、米、小麦粉、缶詰、冷凍食品、オーストラリア本土やアジア、太平洋地域から入った料理も含まれています。

食事と分かち合い

魚、貝、カニ、ヤムイモ、米、ココナッツを使った料理は、家族の集まり、結婚式、葬儀、教会行事、Coming of the Lightなどで提供されます。

大量の料理を家族や来客のために準備することは、単なる食事の提供ではありません。
誰が食材を用意し、調理し、運び、年長者や訪問者へ分けるかという共同作業を通じて、家族と島の関係が確認されます。
一方、島によって入手できる食材と料理は異なります。一つの料理を「すべてのトレス海峡諸島民に共通する民族料理」と断定することはできません。

歌・踊り・物語

歌と踊りは、島の歴史、航海、動物、祖先、キリスト教、家族の出来事などを伝える重要な方法です。

踊りの動きは、鳥、魚、波、船、漁業、戦い、仕事などを表す場合があります。
太鼓、歌、足踏み、手拍子、身体の動きが組み合わされ、複数の踊り手が物語を表現します。
DhariまたはDhoeriと呼ばれる頭飾りを使用する踊りもあります。頭飾りの形、羽、色、模様、使用方法は地域や演目によって異なります。
踊りは観光客へ見せるためだけのものではありません。
家族の行事、島の祭り、教会、葬送、文化教育、政治的な表現、現代舞台芸術など、さまざまな役割を持っています。
一部の歌、名前、物語、儀礼は、特定の家族、性別、年齢、島だけに伝えられる場合があります。公開されている文化表現だけを見て、すべての知識が自由に利用できると考えることは適切ではありません。

芸術と手仕事

トレス海峡諸島民の芸術には、木彫、仮面、太鼓、織物、貝細工、版画、絵画、映像、写真、ファッション、現代彫刻などがあります。

特に、細かな線を彫り込むリノカットや版画は、現代のトレス海峡諸島民アートを代表する表現の一つとして国際的に知られています。
作品には、星、カヌー、祖先、サメ、ワニ、ウミガメ、ジュゴン、サンゴ礁、島、航海などが描かれることがあります。
しかし、作品の中の動物や模様が、すべて同じ意味を持つわけではありません。意味は、作者の島、氏族、家族、作品の物語によって異なります。
歴史的には、ウミガメの甲羅を成形し、祖先や動物を表す仮面を作る技術もありました。
現在の芸術家は、木材、竹、繊維、金属、プラスチック、版画用素材などを使用し、伝統的な造形を現代の環境と法律に合う形で発展させています。

Tagaiと星

Tagaiは、トレス海峡の星、航海、季節、社会の秩序と結びつく重要な祖先的存在です。

Tagaiに関する物語には地域差があり、すべての島で全く同じ内容が語られるわけではありません。
公開されている物語や芸術では、Tagaiとその仲間たちが星座や天の配置と結びつき、航海、季節、漁業、島々の関係を表しています。
現代の芸術家も、星、カヌー、祖先的存在を通じて、海と空に記録された知識を表現しています。オーストラリア博物館のTorres Strait作品資料

旗・シンボル

トレス海峡諸島民の旗

Torres Strait Islander flag
Torres Strait Islander flag

トレス海峡諸島民には、民族全体を表す公式の旗があります。

この旗は、Waiben出身のBernard Namokによってデザインされました。
1992年にIsland Coordinating Councilが実施したデザイン公募で選ばれ、同年5月に公式に発表されました。
1995年7月14日には、オーストラリアのFlags Actに基づく「Flag of Australia」の一つとして法的に認められました。
旗の上部と下部の緑は土地を、中央の青は海を表しています。
緑と青の間にある黒い線は、トレス海峡諸島民を表しています。
中央には白いDhariが描かれています。Dhariはトレス海峡諸島民の踊りと文化的アイデンティティを表す頭飾りです。
Dhariの下にある白い五つの頂点を持つ星は、平和、五つの主要な島の地域、航海における星の重要性を表しています。
白は平和を象徴します。
この旗はAustralian Aboriginal Flagとは異なる旗です。両方ともオーストラリアの先住民族に関係する公式旗ですが、それぞれ異なる人々を表しています。TSRAによるトレス海峡諸島民の旗の解説

Dhari

Dhariは、トレス海峡諸島民を視覚的に表す重要な文化的存在です。

地域や綴りによってDhoeriなどと表記される場合があります。
踊りで実際に使用される頭飾りは、旗に描かれた白い図形と同じ形に統一されているわけではありません。
羽、植物繊維、貝、布、現代的な素材などを使い、島、演目、踊り手に応じた形で作られます。
Dhariを単なる仮装用品や、すべてのオーストラリア先住民に共通する頭飾りとして扱うことは適切ではありません。

五つの頂点を持つ星

旗の星は、トレス海峡の五つの主要な地域と、星を利用した航海を象徴しています。

島民の航海では、星だけでなく、風、潮、波、海の色、雲、生き物の動きなども利用されます。
そのため、この星は単なる地理的な区分だけでなく、島々を結ぶ海と空の知識も表しています。

カヌー・海の動物・真珠貝

カヌー、ウミガメ、ジュゴン、サメ、ワニ、真珠貝などは、トレス海峡諸島民の芸術や地域のシンボルに使われることがあります。

しかし、これらの動物や物品は、民族全体の公式紋章ではありません。
同じ動物でも、島、氏族、家族、物語によって意味が異なります。
Linglobeへ掲載する場合は、「トレス海峡諸島民全体のトーテム」と説明するのではなく、海、航海、特定の島の物語、産業史などと関係する文化的モチーフとして説明することが適切です。

言語

トレス海峡には、二つの伝統言語と、Yumplatokと呼ばれるクレオール言語があります。

さらに、英語やパプアニューギニア側の言語なども使用されています。
島と家族によって使用する言語が異なるため、「トレス海峡語」という一つの言語が存在するわけではありません。

Kala Lagaw Ya

Kala Lagaw Yaは、主にトレス海峡の西部、中央部、北部、内側諸島と関係する伝統言語です。

表記にはKala Lagaw Ya、Kalaw Lagaw Ya、Kalau Lagau Yaなどの違いがあります。
言語学的には、オーストラリア本土の多くの先住言語を含むPama–Nyungan語族と関係する言語として分類されています。
TSRAは、Kala Lagaw Yaの下に次の地域変種を示しています。

  • Kulkalgau Ya
  • Kalaw Kawaw Ya
  • Kawrareg
  • Mabuyag

これらの名称、発音、綴り、分類方法は資料によって異なる場合があります。
一つの変種を、すべての西部・中央部・北部の島々に共通する唯一の正しい話し方とすることはできません。

Meriam Mir

Meriam Mirは、東部のMer、Erub、Ugarと関係する伝統言語です。
TSRAの分類では、MerとErubの二つの地域変種が示されています。
Meriam Mirは、Kala Lagaw Yaとは異なる系統の言語です。
言語学では、パプアニューギニア南部に分布する言語と関係を持つパプア諸語の一つとして扱われています。
そのため、トレス海峡は、オーストラリア系の言語とパプア系の言語が近い地域で長く接触してきた、言語的にも非常に重要な場所です。
Kala Lagaw YaとMeriam Mirは異なる言語ですが、長い交易、婚姻、航海を通じて、互いに似た言葉や借用語を持つ場合があります。

Yumplatok

Yumplatokは、Torres Strait CreoleまたはBrokanとも呼ばれる言語です。
英語を主な語彙の基盤としながら、Kala Lagaw Ya、Meriam Mir、太平洋地域の言語などからも影響を受けています。
Yumplatokには、独自の文法、発音、語順、表現があります。
そのため、Yumplatokを「間違った英語」「壊れた英語」「英語を十分に話せない人の話し方」と説明することは適切ではありません。
現在、Yumplatokはトレス海峡の島々だけでなく、ヨーク岬半島やオーストラリア本土のトレス海峡諸島民コミュニティでも広く使われています。
異なる伝統言語を持つ島民同士を結ぶ共通語として使用されることもあります。AIATSISによるトレス海峡の言語資料

文字と表記

Kala Lagaw Ya、Meriam Mir、Yumplatokは、現在ではラテン文字を使用して書かれています。

しかし、同じ言葉でも資料、島、教育制度、話者によって綴りが異なる場合があります。
歴史的には、宣教師や外部の研究者がそれぞれ異なる方法で言葉を記録しました。そのため、古い資料の綴りが現在の地域表記と一致しないことがあります。
表記の違いを単純な間違いと判断するのではなく、どの島、どの話者、どの正書法に基づくものかを確認する必要があります。

言語の継承と復興

植民地統治、学校教育、英語中心の行政、本土への移住などによって、Kala Lagaw YaとMeriam Mirの世代間継承は弱まりました。

家族の言葉を理解できても流暢には話せない人や、成人後に祖先の言語を学び直す人もいます。
現在では、学校、Indigenous Knowledge Centre、教会、ラジオ、歌、辞書、映像、デジタル教材、家族内の会話などを通じて、言語を継承する活動が行われています。
2023年には、地域の言語指導者によるTorres Strait Traditional Languages Associationの設立が進められました。
言語復興は、単語を保存するだけの活動ではありません。島の歴史、家族関係、海の知識、歌、Ailan Kastomを次世代へ伝える活動でもあります。TSRAの伝統言語復興資料

基本的な表現

Yumplatokでは、次のような表現が紹介されています。

Mayemは、「ようこそ」を表す言葉です。
Esoは、「ありがとうございます」を表します。
Gud Moningは、「おはようございます」を表します。
Yawoは、別れの際に使われる「さようなら」に近い表現です。
これらはYumplatokの表現であり、Kala Lagaw YaやMeriam Mirのすべての地域変種に共通する言葉ではありません。
また、実際の発音と綴りは、島、家族、話者によって異なる場合があります。Yumplatokの言語資料

伝統的な遊び・競技

トレス海峡諸島民の遊びには、身体能力、漁業技術、素材の加工、歌、集団での協力などと関係するものがあります。

現在、学校や文化行事で行われている伝統的ゲームの中には、19世紀から20世紀に記録された資料をもとに、安全な用具と規則を使って再構成されたものもあります。
そのため、現代の教育用ゲームを「古代と全く同じ規則のまま続いている競技」と説明することは適切ではありません。
Australian Sports CommissionのYulunga資料では、伝統的所有者や先住民族組織への確認を行いながら、現代の学校で実施できる形へ調整したゲームが紹介されています。Australian Sports CommissionのYulunga資料

KaiとKai Wed

Kaiは、軽く乾燥させた植物の実などを、手のひらで打ち上げて地面へ落とさないようにする遊びとして記録されています。
参加者は輪になり、実を互いに打ち返しながら長く空中に保つことを目指します。
関連するKai Wedでは、歌やリズムを伴って行われる形式が紹介されています。
現代の活動では、植物の実の代わりに軽いボールや安全な用具が使われます。
この遊びでは、手と目の協調、力加減、周囲の人との連携が必要です。

Kolap

Kolapは、Merと関係する投擲遊びとして紹介されています。
伝統的にはkolapと呼ばれる豆や種子を、地面に設けた目標へ向けて投げました。
現代の学校活動では、豆袋などの安全な用具を使用し、目標に近づける正確さを競います。
距離や得点方法は、活動の目的と参加者の年齢に応じて調整される場合があります。

Mer Kolap

Mer Kolapは、石で作った独楽を回す遊びです。
Merの火山性の石を削り、丸く整えた独楽を作り、長く回り続けるように競いました。
独楽を正確な形へ加工するには、石の性質、重さ、中心、表面の形を理解する必要があります。
そのため、Mer Kolapは単なる遊びではなく、素材の観察、道具作り、回転に関する知識とも結びついています。Australian CurriculumのMer Kolap資料

紹介動画

よくある誤解

「トレス海峡諸島民はアボリジナルの人々と同じ」

トレス海峡諸島民とアボリジナルの人々は、オーストラリアのファースト・ピープルズを構成する二つの異なる民族群です。

それぞれの言語、文化、歴史、Countryがあります。
ただし、家族の系譜によって、両方のアイデンティティを持つ人もいます。
両者を区別することと、両方の系譜を持つ人のアイデンティティを尊重することは両立します。

「トレス海峡諸島民はパプアニューギニア人または一般的な太平洋諸島民」

トレス海峡諸島民は、オーストラリアのファースト・ピープルズの一つです。

パプアニューギニア南岸や太平洋地域の人々と、古い交易、婚姻、言語、文化的な関係を持っていますが、同じ民族ではありません。
「メラネシア人」という広い地域分類だけで、トレス海峡諸島民の島、氏族、歴史を説明することはできません。

「すべてのトレス海峡諸島民が島に暮らしている」

現在、多くのトレス海峡諸島民がオーストラリア本土で暮らしています。

本土で生まれた人や、島を訪れる機会が限られている人もいます。
居住地だけで、その人がトレス海峡諸島民であるかどうかを判断することはできません。
家族、祖先の島、文化、地域社会への参加が、アイデンティティと結びついています。

「トレス海峡には一つの言語しかない」

トレス海峡には、Kala Lagaw YaとMeriam Mirという異なる伝統言語があります。

さらに、Yumplatok、英語、地域や家族に関係するほかの言語も使用されています。
伝統言語の内部にも複数の地域変種があります。

「Coming of the Lightによってトレス海峡の文化が始まった」

Coming of the Lightは、1871年にキリスト教が広がる転換点となった重要な出来事です。

しかし、トレス海峡諸島民の歴史、航海、家族、言語、土地と海の知識は、それよりはるか以前から続いています。
キリスト教の受容は文化を大きく変えましたが、Ailan Kastomを完全に置き換えたわけではありません。

「Mabo判決はEddie Mabo一人の個人的な勝利」

Eddie Koiki Maboは重要な原告であり指導者でしたが、裁判には5人のMeriam原告、家族、長老、証言者、法律家、支援者が関わりました。

判決で認められたのは、Meriamの人々が独自の法と慣習に基づいて維持してきた土地への権利です。
「Australian Aboriginal Flagがトレス海峡諸島民の旗でもある」
Australian Aboriginal FlagとTorres Strait Islander Flagは、異なる人々を表す二つの公式旗です。
両方の人々を扱う場面では二つの旗を並べることがありますが、片方だけを使って両民族を代表させることは適切でない場合があります。

「海の文化なので、現在も全員が漁師として暮らしている」

海はトレス海峡諸島民の文化とアイデンティティの中心ですが、現在の仕事と生活は多様です。

漁業、海洋管理、船舶関係の仕事に携わる人もいれば、教師、看護師、医師、芸術家、法律家、公務員、研究者、軍人、会社員、スポーツ選手、デジタル制作者として活動する人もいます。

現代のトレス海峡諸島民

現在のトレス海峡諸島民は、トレス海峡の島々、ヨーク岬半島、オーストラリア各地の都市や地域社会で暮らしています。

島に住む人と本土に住む人では、交通、仕事、教育、医療、言語、文化行事への参加方法が異なります。
島のコミュニティでは、漁業、行政、学校、医療、建設、小売、船舶、環境管理、芸術などが重要な仕事です。

本土では、教育、医療、法律、大学、企業、行政、軍務、スポーツ、メディア、舞台芸術など、多様な分野で活動しています。
トレス海峡諸島民の芸術家は、版画、音楽、ダンス、映画、文学、ファッション、デジタルアートを通じて、島の歴史と現代の経験を表現しています。
レンジャーと伝統的所有者は、サンゴ礁、海草藻場、ウミガメ、ジュゴン、外来生物、海洋ごみ、文化遺産の管理に関わっています。
言語指導者、教師、家族は、Kala Lagaw Ya、Meriam Mir、Yumplatokを子どもたちへ伝える活動を続けています。

毎年7月1日のComing of the Light、6月3日のMabo Day、地域の祭り、教会行事、ダンスフェスティバル、家族の集まりなども、島と本土のコミュニティを結ぶ機会となっています。

一方、島によっては、住宅不足、生活費の高さ、交通手段、医療と教育へのアクセス、通信、淡水、雇用などの課題があります。
島から専門的な治療を受けるためには、Waiben、Cairns、Townsvilleなどへ長距離を移動しなければならない場合があります。
低い島々では、高潮、海岸侵食、塩水の浸入、海面上昇が、住宅、墓地、道路、淡水、文化的な場所へ影響を与えています。

TSRAは、トレス海峡周辺の海面が世界平均のおよそ3倍の速度で上昇していると報告しています。ただし、被害の程度は島の高さ、地形、護岸、潮、嵐によって異なります。TSRAの気候変動資料
気候変動への対応では、護岸や建物の整備だけでなく、島民自身が持つ潮、風、海岸、植物、海洋生物に関する知識を計画へ取り入れることが重視されています。

トレス海峡諸島民の文化は、旗、踊り、真珠貝、観光用の島の風景だけに存在するものではありません。
家族、島、Sea Country、言語、キリスト教、Ailan Kastom、芸術、法律、教育、環境管理、現代の仕事を通じて、トレス海峡諸島民は自分たちの文化を現在と未来へつないでいます。

Related Peoples