アイマラの人々

アイマラの人々 Visual Summary

概要

アイマラの人々は、南アメリカの中央アンデス高地を主な故郷とする先住民族です。

現在のボリビア西部、ペルー南部、チリ北部を中心に暮らしており、アルゼンチン北西部や、各国の大都市にもアイマラのコミュニティがあります。
アイマラの歴史と文化は、チチカカ湖、アルティプラノと呼ばれる高原地帯、アンデス山脈の谷、太平洋側へ続く交易路などと深く結びついています。
高地の寒冷で乾燥した環境に適応し、ジャガイモ、キヌア、カニワなどの栽培、リャマやアルパカの牧畜、織物、交易を発展させてきました。
家族や共同体の生活では、aylluと呼ばれる社会的・地域的なまとまりや、ayni、minkaと呼ばれる相互扶助の考え方が重要な役割を持ってきました。
アイマラ語は、スペイン語やケチュア語とは異なる独自の言語です。現在も多くの人々によって話されていますが、使用状況は国、地域、世代によって大きく異なります。
アイマラの人々は、ティワナク遺跡、伝統的な衣服、Wiphala、アンデス音楽などによって紹介されることがあります。しかし、これらの要素だけでアイマラ文化全体を説明することはできません。
現在のアイマラは、農村の高地社会だけに暮らす人々ではありません。
都市で商業、交通、教育、医療、行政、政治、芸術、研究、デジタルメディアなどに関わりながら、家族、土地、言語、音楽、儀礼、相互扶助の文化を新しい形で次世代へ伝えている人々です。

居住地と地域ごとの人々

アルティプラノとチチカカ湖

アイマラの人々の主要な故郷は、アンデス山脈の中央部に広がるアルティプラノです。

アルティプラノは、標高およそ3,500メートルから4,000メートル前後の高地に広がる大規模な高原地帯です。
昼夜の気温差が大きく、乾季には強い霜が降り、地域によっては水や耕作地が限られています。一方、雨季には湿地や湖周辺の草地が、農業、牧畜、野鳥、漁業などを支えます。
ペルーとボリビアの国境にまたがるチチカカ湖は、アイマラの歴史、農業、漁業、交易、宗教的な物語と深い関係を持っています。
ただし、チチカカ湖周辺に暮らすすべての人がアイマラであるわけではありません。ケチュア、ウルをはじめ、異なる歴史と言語を持つ人々も暮らしています。
また、すべてのアイマラがチチカカ湖周辺やアルティプラノに住んでいるわけでもありません。
アイマラのコミュニティは山間部の谷、太平洋側の地域、農業地帯、国境の町、大都市などにも広がっています。

ボリビア

ボリビアでは、アイマラの人々は主にラパス県、オルロ県、ポトシ県などに暮らしています。

チチカカ湖周辺、ラパス県の高原地帯、オルロ周辺には、多くの農村コミュニティがあります。
首都機能が置かれているラパスと、その高地側に広がるエル・アルトにも、大きなアイマラの都市コミュニティがあります。
特にエル・アルトは、農村から移住した家族、商人、交通労働者、学生、職人、専門職、政治運動、文化団体などが集まる、現代のアイマラ社会を理解するうえで重要な都市です。
都市に住むことによって、アイマラとしてのアイデンティティが失われるわけではありません。
都市の家族も、アイマラ語、親族関係、農村の故郷との往来、市場、音楽、祭り、共同体組織などを通じて、文化的なつながりを維持しています。
ボリビアの2024年国勢調査では、先住民族などへの自己認識に関する回答のうち、アイマラとケチュアがそれぞれ100万人を超えました。ただし、この数字はアイマラ語の話者数と同じではありません。ボリビア国立統計院の2024年国勢調査結果

ペルー

ペルーでは、アイマラの人々は主にプーノ県に暮らしています。

チチカカ湖の南西部や、ボリビア国境に近い地域には、多くのアイマラ語話者とアイマラの農村コミュニティがあります。
モケグア県とタクナ県の農村部にも、歴史的なアイマラのコミュニティが存在します。
教育、仕事、商業、家族との合流などを通じて、アレキパ、タクナ、リマをはじめとする都市へ移住した人々もいます。
ペルー文化省は、アイマラに関係する地域として650の集落を確認しており、そのうち616が法的に承認された農民共同体であるとしています。
2017年の国勢調査では、ペルー国内で548,311人がアイマラとして自己認識しました。また、450,010人が、子どもの頃に最初に学んだ言語としてアイマラ語を回答しています。ペルー文化省のアイマラ民族資料
この二つの数字が異なることは、民族的な自己認識と言語の使用が同じものではないことを示しています。

チリ

チリでは、アイマラの人々は主に北部のアリカ・イ・パリナコタ州、タラパカ州、アントファガスタ州などに暮らしています。

歴史的には、アンデス高地の集落、渓谷、放牧地、農地、太平洋沿岸へ続く交易路を利用してきました。
現在では、アリカ、イキケ、アルト・オスピシオ、カラマ、サンティアゴなどの都市にもアイマラのコミュニティがあります。
チリの2017年国勢調査では、156,754人がアイマラとして自己認識しました。このうち、アリカ・イ・パリナコタ州では59,432人、タラパカ州では48,964人が記録されています。チリ国立統計院の2017年国勢調査資料
チリでは、アイマラは法律上認められた先住民族の一つです。また、学校教育においてアイマラ語と文化を学ぶための教育プログラムも整備されています。チリ先住民法 チリ教育省のアイマラ語・文化教育課程

国境を越えるつながり

現在のボリビア、ペルー、チリの国境は、アイマラの人々が長く利用してきた土地、放牧地、交易路、親族関係の中に引かれています。

国境が成立する以前から、アンデス高地と太平洋沿岸の間では、トウモロコシ、ジャガイモ、乾燥肉、コカの葉、塩、魚介類、織物などが交換されてきました。
境が引かれた後も、親族の訪問、祭り、商業、放牧、仕事などを通じた移動は続きました。
ただし、ボリビア、ペルー、チリのアイマラが、完全に同じ文化や政治的経験を持っているわけではありません。
各国の土地制度、教育政策、言語政策、都市化、先住民族に関する法律の違いによって、文化、言語、組織、アイデンティティの表現にも地域差があります。

人口を示す統計

アイマラの人口を一つの数字で示すことは簡単ではありません。

ボリビア、ペルー、チリの国勢調査は、実施された年、対象年齢、民族的自己認識に関する質問、言語に関する質問が異なります。
国境を越えて移動する人や、複数の国と家族関係を持つ人もいます。
また、アイマラとして自己認識する人の数と、アイマラ語を話す人の数は同じではありません。
そのため、各国の統計を単純に足して「現在のアイマラの総人口」とすることは適切ではありません。

呼称について

Aymaraは、人々、言語、文化を表すために国際的に広く使われている名称です。

スペイン語圏では、AymaraのほかにAimaraという綴りも使われます。
ペルーの公的資料では、スペイン語による民族名としてAimaraが使われる一方、アイマラ語による綴りとしてaymaraが示されています。
日本語では「アイマラ」が一般的ですが、過去の文献では「アイマラ族」「アイマラ人」などの表記も使われてきました。
Aymaraという名称の語源については複数の説があります。後世に広い地域の人々と言語をまとめて呼ぶ名称として定着した面もあり、単純に「人々」など一つの意味へ置き換えることはできません。
アイマラ語話者が自分自身を表す場合、地域、共同体、出身地、aylluなどに基づく名称を使うこともあります。
そのため、アイマラは完全に均一な一つの集団ではありません。
Linglobeでは、国際的に広く使用されている表記を尊重し、ページ名に「Aymara People」を使用します。

歴史とルーツ

ティワナク以前の社会

チチカカ湖周辺と中央アンデス高地には、ヨーロッパ人が到来する数千年前から人々が暮らしてきました。

人々は狩猟、植物採集、漁業を行い、やがて高地環境に適した農業と家畜の飼育を発展させました。
ジャガイモやキヌアなどの作物、リャマやアルパカなどの家畜は、高地社会の食料、運搬、衣服、交易を支えました。
村落や地域的な政治社会も形成され、チチカカ湖周辺はアンデス各地を結ぶ重要な交流地域となりました。
ただし、考古学的に確認される古代社会を、現在の民族名へそのまま当てはめることはできません。
言語、政治組織、集落、民族的な自己認識は、長い時間の中で変化してきたためです。

ティワナク文化

ティワナクは、現在のボリビア西部、チチカカ湖の南東に位置する大規模な考古遺跡です。

ティワナクは宗教、政治、交易、農業技術の中心として発展し、西暦500年頃から900年頃に最盛期を迎えました。
石を精密に加工した建築、広場、地下式神殿、彫刻、土器などで知られています。
周辺では、suka kolluまたはwaru waruと呼ばれる高畝式農地も利用されました。畝の間に水路を設けることで、排水、灌漑、霜への対策などに役立てる農業技術です。
ティワナクの政治的・文化的影響は、ボリビア、ペルー、チリを含む南部アンデスの広い地域へ及びました。
11世紀頃から政治体制が弱まり、12世紀前半までに中心都市としての役割を失ったと考えられています。ユネスコ世界遺産センターのティワナク資料
現在のアイマラの人々にとって、ティワナクは祖先、土地、歴史的記憶と深く結びついた場所です。
一方、考古学上のティワナク社会を、現在のアイマラ民族と完全に同じ集団と断定することはできません。
ティワナクは長期間にわたる多地域的な社会であり、使用された言語や、現在の民族との関係については研究と議論が続いています。

アイマラ諸王国

ティワナクの政治体制が崩壊した後、チチカカ湖周辺とアルティプラノには、複数の地域的な政治勢力が形成されました。

13世紀頃以降、これらは一般にアイマラ諸王国またはアイマラ諸領主国と呼ばれています。
代表的なものとして、Colla、Lupaca、Pacajes、Carangasなどが知られています。
それぞれの勢力は独自の領域と支配者を持ち、支配者はmallkuと呼ばれることがありました。
高原地帯だけで生活が完結していたわけではありません。
地域によっては、標高の異なる土地を利用し、高地ではジャガイモや牧畜、温暖な谷ではトウモロコシや果物、太平洋側では海産物を得る仕組みがありました。
婚姻、交易、儀礼、戦争などを通じて、各地域の社会は互いに関係していました。 ただし、アイマラ諸王国がすべて同じ政治組織や文化を持っていたわけではありません。

インカ帝国への編入

15世紀になると、インカ帝国はチチカカ湖周辺とアルティプラノへ勢力を拡大しました。

アイマラ諸王国は戦闘、交渉、同盟などを経て、インカ帝国の一部へ編入されました。
この地域は、インカ帝国の南部を表すCollasuyuの重要な部分となりました。
インカは道路、倉庫、行政拠点を整備し、労働、軍事、農業、家畜、交易を管理しました。
人々を別の地域へ移住させるmitmaと呼ばれる政策も行われました。
インカ帝国ではケチュア語が広く使用されましたが、アイマラ語が消滅したわけではありません。
アイマラ語とケチュア語は長く接触し、互いに語彙や表現の影響を受けながら、それぞれ独自の言語として維持されました。

スペイン植民地統治

16世紀、スペイン勢力がインカ帝国を征服すると、アイマラの人々も植民地統治へ組み込まれました。

人々には貢納が課され、鉱山、農園、牧場、織物工房などで労働を求められました。
特に、現在のボリビアにあるポトシ銀山へ労働者を送るmita制度は、各地の家族と共同体に大きな負担を与えました。
スペイン側は、分散して暮らしていた先住民族をreducciónと呼ばれる集落へ集めようとしました。
この政策は、土地利用、家族関係、宗教、政治組織、農業、移動の方法に影響を与えました。
カトリックの教会、聖人、祭りが各地へ導入されましたが、植民地以前からの土地、山、湖、祖先、農業に関する考え方が完全に失われたわけではありません。
人々は外来の宗教や制度を、地域の習慣と結びつけながら再解釈しました。

18世紀の大規模な反乱

18世紀後半には、貢納、強制労働、商品購入の強制、土地と行政をめぐる不満が高まりました。

1780年代初頭、現在のペルーとボリビアにあたる地域で、スペイン植民地支配に対する大規模な反乱が起こりました。
1781年には、Julián Apazaとして生まれたTúpac Katariと、Bartolina Sisaをはじめとする指導者たちが、ラパスを包囲しました。
この反乱には、アイマラ、ケチュアをはじめ、異なる地域と社会的背景を持つ多くの人々が関わりました。
スペイン側は反乱を鎮圧し、指導者たちを処刑しました。
現在、Túpac KatariとBartolina Sisaは、土地、尊厳、政治参加、植民地支配への抵抗を象徴する人物として記憶されています。
ただし、この反乱を現在の一つの国家や政治運動だけの起源として説明することはできません。参加者の目的や地域の状況は多様でした。

共和国と国境

19世紀にスペインから独立した共和国が形成されると、アイマラの故郷はボリビア、ペルー、チリなどの国家へ分けられました。

独立によって植民地時代の不平等がすぐに解消されたわけではありません。
先住民族への貢納が形を変えて続いた地域もあり、共同体の土地は大土地所有者、企業、国家制度などから圧力を受けました。
19世紀後半の太平洋戦争と、その後の国境変更は、現在のチリ北部、ボリビア西部、ペルー南部に暮らす人々へ大きな影響を与えました。
国籍、学校教育、行政言語、兵役、土地登記などの制度が変わり、国境を越えて続いていた親族関係や交易にも制限が生じました。
国民国家による同化政策の中で、アイマラ語や伝統的な衣服が「遅れたもの」として差別された時期もあります。

20世紀から現在まで

20世紀には、土地改革、鉱業、道路建設、学校教育、軍務、都市化などがアイマラ社会を大きく変化させました。

ボリビアでは、1952年の革命とその後の農地改革によって、大土地所有制度と農村社会が再編されました。
ペルーでも、1969年の農地改革によって、アシエンダと呼ばれる大土地所有制度が解体され、多くの先住民族共同体の法的・経済的な状況が変化しました。
一方、学校や行政ではスペイン語が優先され、アイマラ語を話す子どもが差別や罰を受けることもありました。
農村からラパス、エル・アルト、アレキパ、タクナ、リマ、アリカ、イキケなどへ移住する人々が増え、都市の市場、交通、工場、建設、大学などに新しいコミュニティが形成されました。
近年では、アイマラ語による教育、ラジオ、音楽、文学、デジタルメディアが発展しています。
また、土地、水、鉱業、農業、先住民族の自治、女性の権利、政治参加などをめぐり、アイマラの団体、共同体、教育者、研究者、活動家がさまざまな取り組みを行っています。

文化

Ayllu、Marka、家族

アイマラ社会を理解するうえで重要な概念の一つが、aylluです。

Aylluは、単なる村や血縁集団ではありません。
地域によって違いがありますが、親族関係、共同体への所属、農地、放牧地、水、祖先、儀礼、政治的な責任などを結びつける社会的・地域的なまとまりです。
複数のaylluが、markaと呼ばれる、より大きな地域的・政治的なまとまりを形成する場合があります。
共同体では、土地や水の利用、祭り、農作業、公共施設の管理、争いの調整などを話し合います。
地域によっては、mallku、jilaqata、kurakaなどの名称を持つ伝統的な役職があります。
ただし、すべてのアイマラ・コミュニティが同じ組織や役職を維持しているわけではありません。
現代の市町村制度、農民組合、近隣組織、先住民族組織、宗教団体などと、伝統的な仕組みが併存している地域もあります。
家族には、親子や兄弟だけでなく、祖父母、おじ、おば、いとこ、儀礼上の親族などを含む広い関係が存在します。
都市に移住した家族も、農村の共同体、農地、祭り、葬儀、親族との関係を維持することがあります。

Ayniと相互扶助

Ayniは、労力、食料、物、支援などを互いに提供し合う相互扶助の考え方です。

例えば、ある家族の農作業や家の建設を親族や隣人が手伝い、後に別の機会に助けを返すことがあります。
Minkaまたはmink’aは、共同体全体に関係する仕事や、特定の家族が多くの人の協力を必要とする仕事を表す場合があります。
道路、水路、共同施設の整備、収穫、祭りの準備などで共同作業が行われることがあります。
ただし、ayniやminkaは「すべての物を無条件で共有する制度」という意味ではありません。
誰が、いつ、どのような支援を行うかには、家族関係、共同体の規則、過去に受けた支援、地域の状況などが関係します。
また、都市生活、賃金労働、行政制度の中では、その実践方法も変化しています。

農業と高地環境

アンデス高地では、標高、雨量、霜、土壌、水の利用可能性によって、栽培できる作物が大きく異なります。

アイマラの農業では、ジャガイモが長く中心的な作物となってきました。
一つの地域で複数の品種を栽培することによって、霜、乾燥、病害などの危険を分散することがあります。
キヌア、カニワ、ソラマメ、オオムギ、トウモロコシ、オカ、オユコなども地域に応じて栽培されています。
畑の位置と植え付け時期を分け、気候の変化に対応する知識も受け継がれてきました。
一部の地域では、suka kolluまたはwaru waruと呼ばれる高畝式農地、段々畑、灌漑水路などが利用されてきました。
ただし、すべてのアイマラ農民が同じ伝統的農法を使用しているわけではありません。
現在では、トラクター、化学肥料、改良種子、ビニールハウス、ポンプ、現代的な灌漑設備などを使用する農家もいます。
農産物は家庭で消費されるだけでなく、地域の市場や都市へ販売されています。

牧畜

リャマとアルパカは、アンデス高地の生活を支えてきた重要な家畜です。

リャマは荷物の運搬、肉、毛、皮などに利用され、アルパカは特に繊維の質で知られています。
植民地時代以降には、羊、牛、ロバなどの家畜も広く飼育されるようになりました。
牧畜には、草地、水場、季節、降雪、家畜の病気、繁殖などに関する知識が必要です。
家畜は単なる商品ではありません。
食料、衣服、交易、祭り、家族の財産、共同体の関係などにも結びついています。
一方、家畜の種類と重要性は地域ごとに異なり、すべてのアイマラがリャマやアルパカを飼育しているわけではありません。

食文化

アイマラの食文化は、高地で栽培される作物、牧畜、湖や川の魚、地域間の交易などによって形成されてきました。

ジャガイモは、生のまま調理するだけでなく、chuñoやtuntaと呼ばれる保存食品にも加工されます。
Chuñoは、夜間の凍結と日中の乾燥を利用してジャガイモから水分を抜く食品です。
Tuntaは、凍結させたジャガイモを水にさらし、白く乾燥させたものです。
これらは長期間保存でき、不作の時期や長い移動にも役立ちます。
キヌアやカニワは、煮込み料理、スープ、粥、飲み物などに利用されます。
リャマやアルパカの肉を乾燥させたcharqui、ジャガイモや肉、野菜などを使うchairo、キヌアをやわらかく調理したpesqueなども知られています。
地面を熱した石で温め、土をかぶせてジャガイモなどを蒸し焼きにするwatiaまたはhuatiaも行われます。
ただし、料理名、材料、調理方法はボリビア、ペルー、チリ、農村、都市、家庭によって異なります。
現在の食生活には、米、麺類、パン、砂糖、食用油、缶詰、加工食品なども取り入れられています。

住居

伝統的な高地の住居には、日干しれんが、石、泥、藁、木材などが使用されてきました。

屋根には、地域で採れる草や植物が使われる場合があります。
住居の周辺には、畑、家畜の囲い、食料や農具の保管場所などが設けられます。
寒さと強風を防ぐため、壁を厚くし、窓や入口を小さくする建築も見られます。
現在では、日干しれんがの家だけでなく、焼成れんが、コンクリート、トタン、ガラスなどを使った住宅も一般的です。
都市部では、一般的な集合住宅、れんが造りの住宅、商店と住居を組み合わせた建物などに暮らしています。
住居の材料だけで、その家族がアイマラであるかどうかを判断することはできません。

織物と手仕事

織物は、アイマラ文化を代表する手仕事の一つです。

リャマ、アルパカ、羊などの毛を紡ぎ、染色し、織機を使って布を作ります。
毛布、poncho、帯、帽子、袋、chuspaと呼ばれる小袋、荷物や子どもを背負うためのawayuまたはaguayoなど、さまざまな製品があります。
色、模様、織り方には、地域、共同体、時代、作り手による違いがあります。
動物、植物、山、星、農作物、幾何学的な形などを思わせる模様が使われることもあります。
しかし、一つの模様がすべてのアイマラに共通する固定的な意味を持つとは限りません。
織物は家庭で使用されるだけでなく、市場、文化行事、観光、ファッション、現代美術などとも結びついています。
工芸品として販売される場合には、作り手への適切な報酬、模様の無断使用、大量生産品との競争などが課題となることもあります。

衣服

アイマラの衣服は、国、地域、都市と農村、世代、職業、個人によって異なります。

女性の衣服としては、polleraと呼ばれる幅の広いスカート、ブラウス、肩にかけるmanta、荷物を背負うawayu、帽子などが知られています。
ボリビアの都市部では、山高帽に似た帽子、pollera、mantaなどを身に着ける女性が、cholitaと呼ばれることがあります。
ただし、cholitaは歴史、階級、都市文化、女性の自己認識などと関係する言葉であり、すべてのアイマラ女性を表す名称ではありません。
男性の衣服としては、poncho、ch’ulluと呼ばれる耳当て付きの帽子、織物の帯などがあります。
現在では、日常的な現代服を着る人、祭りの際に地域の衣服を着る人、伝統的な衣服と現代服を組み合わせる人など、さまざまです。
現在「伝統衣装」と呼ばれる衣服にも、植民地時代や共和国時代に導入された素材、形、服装規制の影響が含まれています。
そのため、現在の衣服を古代から一度も変化していないものとして説明することはできません。

音楽・踊り・祭り

アイマラの音楽では、sikuと呼ばれるパンパイプ、pinkilluやtarkaと呼ばれる笛、太鼓、charangoなど、さまざまな楽器が使われます。

複数の演奏者が異なる音を交互に吹き、一つの旋律を作る演奏方法もあります。
音楽と踊りは、雨季、乾季、農作業、家畜、カトリックの聖人祭、共同体の記念日、都市の祭りなどと結びついています。
Sikuri、tarkeada、morenada、diabladaなど、アイマラの人々が参加する音楽や踊りがあります。
ただし、これらの多くはアイマラだけに限定されず、ケチュアをはじめとする周辺の人々、鉱山都市、宗教団体、都市文化との交流の中で発展しました。
ペルーのモケグア県で行われるSarawjaは、雨季の終わりと収穫の始まりに関係する地域的なアイマラの音楽と踊りです。歌はアイマラ語やスペイン語で歌われ、charangoなどが使用されます。
Sarawjaは2025年にユネスコの無形文化遺産代表一覧表へ登録されましたが、すべてのアイマラに共通する踊りではなく、モケグアの地域的な伝統です。ユネスコのSarawja資料

口承文化と自然観

アイマラ文化では、物語、歌、なぞなぞ、助言、ことわざ、儀礼などを通じて、歴史と知識が伝えられてきました。

土地は、単に所有して利用する資源としてだけ理解されるわけではありません。
山、湖、泉、岩、農地、家畜、天候などが、祖先や社会的な責任と結びついて理解される場合があります。
山や地域の守護的な存在は、achachila、apu、mallkuなどの言葉で表されることがあります。ただし、言葉と考え方は地域によって異なります。
Pachamamaは、土地、農業、生命、時間と空間などに関係する存在として知られています。
しかし、Pachamamaを単純に西洋的な意味での「大地の女神」とだけ説明すると、地域ごとの複雑な考え方が失われます。
現在のアイマラには、カトリック、プロテスタント、福音派、地域の儀礼、複数の信仰を組み合わせる人、特定の宗教を持たない人などがいます。
すべてのアイマラが同じ自然観や宗教を持っているわけではありません。

旗・シンボル

アイマラ民族全体を代表する、世界共通の公式旗はありません。

ボリビア、ペルー、チリにはそれぞれ国旗がありますが、これらはアイマラ民族だけを表す旗ではありません。
各地域の先住民族組織、共同体、政治団体などが独自の旗や紋章を使用することもあります。

アンデス先住民族の文化的・政治的象徴
アンデス先住民族の文化的・政治的象徴

Wiphala

Wiphalaは、七色の正方形を斜めに配置した格子状の旗または紋章です。

アンデス地域の先住民族運動、共同体、文化行事、政治活動などで広く使用されています。
デザインには地域的な種類があり、すべてのWiphalaが完全に同じ配色ではありません。
ボリビアでは、2009年憲法によってWiphalaが国の象徴の一つとして正式に位置づけられました。ボリビア憲法第6条
しかし、Wiphalaはボリビアのアイマラだけを表す民族旗ではありません。
ケチュアをはじめとするアンデスの先住民族や、より広い政治・文化運動でも使用されています。
また、ペルーとチリを含むすべてのアイマラ・コミュニティが、Wiphalaを自分たちの共通する公式旗として承認しているわけではありません。

チチカカ湖とアルティプラノ

チチカカ湖、アルティプラノ、雪をいただく山々は、アイマラの歴史、農業、牧畜、交易、物語と深く結びついています。
ただし、これらの地域はアイマラだけが所有する空間ではなく、複数の先住民族と都市住民が暮らす地域でもあります。

ティワナク

ティワナクは、中央アンデスの古代史と、現在のアイマラの文化的記憶を表す重要な場所です。
太陽の門、石像、石造建築などは、ボリビアの公共施設、芸術、観光、政治的表現にも用いられています。
ただし、ティワナクの遺物をアイマラ民族全体の公式紋章と扱うことはできません。

リャマとアルパカ

リャマとアルパカは、牧畜、運搬、食料、繊維、交易、儀礼と関係しています。
アンデス高地の生活を表す存在ですが、アイマラだけに固有の動物ではありません。

ジャガイモ、キヌア、織物

ジャガイモとキヌアは、高地の農業、食料保存、季節の循環を表します。
織物は、地域の素材、色、技術、家族内での知識継承を表しています。
いずれもアイマラ文化を視覚的に紹介するうえで重要ですが、民族全体の公式紋章ではありません。

言語

アイマラ語は、Aru語族またはAymaran語族と呼ばれる言語グループに属する先住言語です。

同じ語族には、ペルー中央部で話されるJaqaruや、それと近いKawkiと呼ばれる言語変種が含まれます。
アイマラ語はケチュア語の方言ではありません。
両者は異なる言語系統に属していますが、長い接触の中で語彙、発音、文法的な表現などに影響を与え合ってきました。

言語の特徴

アイマラ語は、語幹に多くの接尾辞を加えて意味や文法的な関係を表す、膠着語的な特徴を持っています。

動詞や名詞へ接尾辞を付けることで、人称、時制、方向、話し手の態度、情報の確かさなどを細かく表現します。
地域差はありますが、母音は基本的にa、i、uの三つを中心に説明されます。
子音には、通常の閉鎖音に加えて、強い息を伴う音や、声門を使って発音する放出音の区別があります。
このため、スペイン語や日本語にはない音の違いが、単語の意味を区別することがあります。
語順は一般に主語・目的語・動詞の順を基本としますが、接尾辞によって文中の関係が示されるため、語順が変化する場合もあります。

話者数と分布

アイマラ語は、主にボリビア、ペルー、チリで話されています。

アルゼンチン北西部や、南アメリカ各地へ移住した家族の中にも話者がいます。
ユネスコは、ボリビア、ペルー、チリを合わせて200万人以上がアイマラ語を話すと紹介しています。ユネスコ・クーリエのアイマラ語資料
ただし、話者数は調査方法によって異なります。
「アイマラ語を理解できる」「家庭で使用する」「子どもの頃に最初に学んだ」「自分をアイマラと認識する」などは、それぞれ異なる質問です。
都市へ移住した人、スペイン語を主に使う若い世代、聞いて理解できても話さない人、成人後に学び直している人もいます。

ボリビアでの位置づけ

ボリビアでは、スペイン語とアイマラ語を含む先住諸言語が、憲法上の公式言語として認められています。

ただし、憲法上の位置づけと、行政、医療、司法、教育などで実際にアイマラ語を利用できる環境が完全に一致しているわけではありません。
地域によっては、通訳、教材、アイマラ語を使える専門職員が不足しています。

ペルーでの位置づけ

ペルー憲法では、スペイン語が公式言語とされ、アイマラ語、ケチュア語、その他の先住言語は、それらが優勢に使用されている地域で公式言語とされています。ペルー憲法第48条
ペルーのアイマラ語には、南部の広い地域で話される変種のほか、リマ県トゥペ周辺のJaqaruなど、Aru語族に属する異なる言語があります。
政府と地域の教育機関は、アイマラ語による教育、辞書、教材、正書法の整備を進めています。

チリでの位置づけ

チリでは、アイマラは法的に認められた先住民族の一つであり、アイマラ語と文化を扱う異文化間教育の取り組みがあります。

ただし、アイマラ語はチリ全土の国家的な公式言語として、スペイン語と同じ位置づけを与えられているわけではありません。
学校や地域団体による教育、文化活動、言語研修などが行われています。
近年には、PutreやCamiñaなどで、教育者が地域のアイマラ語と文化を学ぶ言語イマージョンの活動も進められています。ユネスコのチリにおけるアイマラ語復興資料

文字と表記

アイマラ語は、現在ではラテン文字を使って書かれています。

スペイン語にはない音を表すため、文字の組み合わせやアポストロフィなどが使用されます。
ボリビア、ペルー、チリでは、時代によって異なる綴り方が使われてきました。
現在は教育用の正書法が整備されていますが、古い資料、地域の表記、スペイン語の影響を受けた表記などが併存しています。
ペルーでは、1985年に公的なアイマラ語アルファベットが承認され、その後も教育資料や表記規則の整備が行われています。ペルー文化省のアイマラ語資料

言語の継承と復興

アイマラ語には多くの話者がいますが、すべての地域で安定して次世代へ継承されているわけではありません。

学校や職場でスペイン語が優先されてきたこと、アイマラ語への差別、都市への移住、家庭内の言語選択などが、継承に影響しています。
一方、アイマラ語によるラジオ、テレビ、音楽、詩、文学、新聞、動画、SNS、デジタル辞書なども増えています。
ボリビア、ペルー、チリの共同事業として、口承表現、音楽、織物、農業知識などを守る活動も行われ、2009年にはユネスコの無形文化遺産の優良保護事例へ登録されました。ユネスコのアイマラ無形文化遺産保護事業

基本的な表現

Kamisaraki?は、「お元気ですか」「こんにちは」に近い挨拶として使われます。

Walikiは、「元気です」「よいです」に近い返答です。
Jikisiñkamaは、「また会うまで」「また会いましょう」に近い別れの表現です。
綴り、発音、実際の使い方には地域差があります。
また、挨拶では、相手との年齢、親しさ、時間帯、スペイン語との併用などによって、異なる表現が使われることがあります。

伝統的な遊び・競技

アイマラの人々すべてに共通する、一つの公式な伝統スポーツが存在するわけではありません。

遊び、競技、牧畜、農作業、祭り、身体的な訓練が重なり合う活動もあります。
同じ名称でも、ボリビア、ペルー、チリ、農村、都市によって内容が異なる場合があります。

Anata

Anataは、アイマラ語で遊び、楽しみ、祝祭などに関係する言葉です。
特定の一つの競技名だけを意味するわけではありません。
ボリビアの一部では、雨季や収穫期、カーニバルの時期に行われる音楽、踊り、共同体の祭りをAnataと呼ぶことがあります。
人々は楽器を演奏し、踊り、畑や家畜の恵みに感謝します。
地域によっては、走る、力を比べる、縄を使う、ボールを使うなどの遊びが祭りの中で行われる場合があります。
ただし、一地域のAnataの内容を、すべてのアイマラに共通する古代競技として紹介することはできません。

Warak’a

Warak’aまたはwarakaは、植物繊維や毛糸などから作られる投石器です。
石を包む部分と二本のひもからなり、回転させて石を遠くへ飛ばします。
歴史的には、家畜を守ること、狩猟、戦闘などに関係していました。
投石器を正確に扱うには、距離、方向、回転、石を放すタイミングを判断する技術が必要です。
現在では、文化行事や地域の競技で、距離や正確さを示す実演が行われることがあります。
ただし、投石器はアイマラだけに固有の道具ではなく、ケチュアを含むアンデスの広い地域で使用されてきました。
また、本来は危険な道具であるため、子どもの玩具として扱うことは適切ではありません。

Chuka Liwi

ペルーのプーノ県の一部では、chuka liwiと呼ばれる、水辺の鳥を捕らえる技術に関係した競い合いが記録されています。
これは湖や湿地での生活技術、道具の扱い、正確さなどに関係する活動です。
ただし、すべてのアイマラ・コミュニティに共通する遊びではありません。
また、野鳥の捕獲に関する現在の法律や環境保護の規則は、国と地域によって異なります。
現代に紹介する場合は、一般的な子どもの遊びではなく、特定地域で記録された歴史的な狩猟技術に関係する競技として説明する必要があります。

現代のスポーツ

現在のアイマラのコミュニティでは、サッカー、フットサル、バレーボール、陸上競技、自転車競技なども広く行われています。
農村共同体、都市の近隣組織、学校、市場の組合、出身地別の団体などがスポーツ大会を開催することがあります。
こうした大会は、単に勝敗を競うだけでなく、家族や出身地域のつながりを維持する機会にもなっています。
現代スポーツへ参加することと、アイマラの文化的アイデンティティを持つことは矛盾しません。

よくある誤解

「アイマラはインカと同じ人々」

アイマラの諸社会は、インカ帝国が成立する以前から中央アンデス高地に存在していました。

15世紀にインカ帝国へ編入されましたが、アイマラ語、地域的な組織、文化的な知識がすべてケチュアやインカ文化へ置き換えられたわけではありません。
現在のアイマラを単純に「インカの子孫」とだけ説明すると、インカ以前から続く歴史と、アイマラ独自の言語が見えなくなります。

「ティワナクを築いた人々と完全に同じ」

ティワナクは、現在のアイマラにとって重要な歴史的・文化的な場所です。

しかし、ティワナクの最盛期と、史料上でアイマラ諸王国が明確に確認される時代の間には時間的な隔たりがあります。
古代のティワナク社会で使われた言語や、人々の民族的構成についても議論があります。
そのため、「ティワナクは現在のアイマラという一つの民族だけが築いた国家だった」と断定することは適切ではありません。

「すべてのアイマラは高原の農村に住んでいる」

現在では、ラパス、エル・アルト、オルロ、リマ、アレキパ、タクナ、アリカ、イキケ、サンティアゴなど、多くの都市にアイマラの人々が暮らしています。

商業、交通、教育、医療、建設、行政、芸術、研究など、仕事も多様です。
農村と都市の間を行き来し、両方に家族や生活の基盤を持つ人もいます。

「すべてのアイマラがアイマラ語を話す」

アイマラとしての自己認識と、アイマラ語を話すことは同じではありません。

スペイン語を第一言語とするアイマラ、アイマラ語を理解しても話す機会が少ない人、成人後に学び直す人もいます。
一方、アイマラ語を話すことが、その人の文化的な知識やアイデンティティの強さを単純に決めるわけでもありません。

「Wiphalaは全アイマラ共通の公式旗」

Wiphalaは、アイマラを含むアンデス先住民族の重要な象徴です。

ボリビアでは国の象徴として憲法に位置づけられています。 しかし、すべての国と地域のアイマラが承認した、民族全体の唯一の公式旗ではありません。

「衣服を見ればアイマラか分かる」

伝統的なpollera、manta、poncho、帽子などを身に着けるアイマラの人々がいます。

一方、一般的な現代服を着る人も多く、衣服の選択は地域、職業、世代、行事、個人によって異なります。
特定の服装をしているから必ずアイマラである、または伝統的な服を着ていないからアイマラではないと判断することはできません。

「アイマラ文化は変化してはいけない」

アイマラ文化は、周辺の先住民族、インカ帝国、スペイン植民地社会、カトリック、共和国、都市、市場経済などとの関係の中で変化してきました。

新しい楽器、衣服、技術、宗教、食材、政治制度などを取り入れたことは、アイマラとしてのアイデンティティが失われたことを意味しません。
文化は、何も変えずに保存することだけでなく、必要に応じて再解釈し、次世代へ伝えることによっても継続します。

現代のアイマラ

現在のアイマラは、ボリビア、ペルー、チリなどの農村と都市で、多様な生活を送っています。

農業、牧畜、漁業、織物、鉱業、建設、交通、市場での商業、観光、教育、医療、法律、行政、政治、音楽、映像、デザイン、研究、デジタル技術など、関わる仕事もさまざまです。
ボリビアのエル・アルトをはじめとする都市では、アイマラの女性や家族が商業、運輸、住宅建設、地域組織などで大きな役割を担っています。
伝統的な衣服を現代ファッションへ取り入れるデザイナー、アイマラ語で音楽や動画を制作する若者、大学で歴史や言語を研究する人々もいます。
農村と都市は完全に切り離されているわけではありません。

都市に住みながら農村の祭りへ参加する人、親族の農作業を手伝う人、共同体の土地や家を維持する人、都市の収入を故郷の家族へ送る人もいます。
一方、地域によっては、水不足、干ばつ、霜、気候変動、土地の権利、鉱業による環境への影響、農産物価格、医療や教育へのアクセス、言語差別などの課題があります。
これらの問題は、すべてのアイマラ・コミュニティで同じではありません。

チチカカ湖周辺、乾燥した高原、太平洋側の渓谷、大都市では、生活環境と必要とされる取り組みが異なります。
アイマラの人々は、過去から変化せずに残された存在でも、支援を受けるだけの存在でもありません。
家族、ayllu、ayni、農業、牧畜、織物、音楽、言語、学校教育、都市の仕事、政治参加、芸術、デジタルメディアなどを通じて、自分たちの文化と社会を現在へつないでいます。
アイマラ文化は、アルティプラノの風景や伝統衣装の中だけに存在するものではありません。
変化する現代社会の中で、自分たちの言葉、歴史、土地との関係を問い直しながら、地域と世代を越えて受け継がれている文化です。

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