グアラニーの人々

グアラニーの人々 Visual Summary

Overview

グアラニーの人々は、南アメリカ中南部を故郷とする、互いに近い言語と文化的なつながりを持つ複数の先住民族です。

現在のパラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアにまたがる広い地域に暮らしています。伝統的な領域には、パラナ川、パラグアイ川、ウルグアイ川の流域、大西洋岸森林、グラン・チャコ、ボリビア東部の平原や山麓地域などが含まれます。 グアラニーは一つの均一な民族ではありません。

Mbya Guaraní、Kaiowá、Paĩ Tavyterã、Ava Guaraní、Ñandeva、Guaraní Occidental、ボリビアのGuaraníなど、地域によって異なる名称、言語変種、歴史、政治組織、儀礼があります。

国境を越えた共同調査であるGuaraní Continental Map 2016では、4か国の1,416のコミュニティ、村、都市居住区、家族集団に、28万人を超えるグアラニーの人々が記録されました。
ただし、これは2016年頃の資料をもとにした地域横断的な記録であり、現在の正確な総人口を表すものではありません。各国の国勢調査では、民族名、言語、自己認識の分類方法が異なるため、数字を単純に合計することはできません。
グアラニーの文化は、森林と河川、農業、親族関係、共同体、言語、音楽、物語、儀礼などと深く結びついています。

一方、現在のグアラニーの人々は、森林や農村だけで暮らしているわけではありません。都市、学校、大学、行政、芸術、映像制作、農業、観光、企業など、さまざまな場所と分野で活動しています。

居住地と地域ごとの人々

グアラニーの伝統的な領域は、現在の国境が引かれる以前から存在していました。
そのため、同じ民族や親族のコミュニティが国境の両側に分かれて暮らしている場合があります。
国によって民族名の分類や綴り方が異なるため、似た名称が常に同じ集団を表すとは限りません。

パラグアイ

パラグアイは、国名、言語、食文化、地名などにグアラニーの影響が強く残る国です。

しかし、「パラグアイ人」と「先住民族としてのグアラニー」は同じ意味ではありません。
パラグアイでは、先住民族ではない人々の間でもパラグアイ・グアラニー語が広く使われています。一方、先住民族のグアラニー・コミュニティは、独自の土地、社会組織、歴史、言語変種、文化的アイデンティティを持っています。
パラグアイの公的な民族・言語分類では、次のようなグアラニー系の人々が確認されています。

  • Mbya Guaraní
  • Ava Guaraní
  • Paĩ Tavyterã
  • Guaraní Ñandeva
  • Guaraní Occidental

これらの人々は主に東部地域とチャコ地方に暮らしていますが、それぞれの歴史や言語は同一ではありません。

ブラジル

ブラジルでは、グアラニーの人々は主にGuarani Mbya、Guarani ÑandevaまたはNhandewa、Guarani Kaiowáという名称で紹介されています。

Guarani Kaiowáの主要な居住地域は、パラグアイとの国境に近いマットグロッソ・ド・スル州です。
Kaiowáは、国境の反対側に暮らすパラグアイのPaĩ Tavyterãと、言語や親族関係において深いつながりを持っています。ただし、現在の民族名と政治的な自己認識には地域差があるため、両者を完全に同じ名称へ置き換えることはできません。

Guarani MbyaやGuarani Ñandevaは、パラナ州、サンタカタリーナ州、リオグランデ・ド・スル州、サンパウロ州、リオデジャネイロ州、エスピリトサント州などにもコミュニティを形成しています。
大西洋岸森林に沿って広がるMbyaのコミュニティには、現在の国境を越えて親族、言語、儀礼、訪問のネットワークを維持しているところがあります。
都市部や都市周辺に暮らすグアラニーもいます。都市に居住していることは、先住民族としてのアイデンティティを失ったことを意味しません。

アルゼンチン

アルゼンチン北東部のミシオネス州には、多くのMbya Guaraníのコミュニティがあります。

ミシオネス州はパラグアイとブラジルに接しており、森林、河川、親族関係を通じて、国境を越えたつながりが続いています。
北西部のサルタ州やフフイ州には、Ava Guaraníをはじめとするグアラニー系のコミュニティがあります。
仕事、教育、医療、土地の変化などを背景として、ブエノスアイレスをはじめとする都市部へ移住した人々もいます。
アルゼンチン北東部のコリエンテス州では、2004年の州法によってグアラニー語がスペイン語と並ぶ代替的な公用語として認められました。
ただし、コリエンテス州で広く使われるグアラニー語と、MbyaやAva Guaraníなどの先住民族が話す言語変種は、完全に同じものではありません。

ボリビア

ボリビアのグアラニーは、主にサンタクルス県、チュキサカ県、タリハ県にまたがるチャコ地方に暮らしています。

地域や言語、歴史的背景によって、Ava、Simba、Isoseñoなどの名称が使われることがあります。
これらは共通する文化的・政治的なつながりを持ちながらも、地域ごとの言語、衣服、音楽、儀礼、歴史を持っています。
ボリビアでは、Asamblea del Pueblo Guaraní(APG)が、土地、教育、言語、自治、文化などに関わる代表的な組織として活動しています。
ボリビアや周辺地域にはTapietéやGuarayoなど、グアラニー系の言語を話す別の先住民族もいます。言語上の関係が近いからといって、すべてを一つのグアラニー民族として扱うことは適切ではありません。

呼称について

Guaraníは、南アメリカの複数の先住民族、言語、歴史的な文化圏を表す名称です。

スペイン語ではGuaraní、ポルトガル語や英語ではアクセント記号を付けずGuaraniと書かれる場合があります。
「Guaraní People」という単数形も使われますが、地域ごとの民族的な多様性を明確にする場合は「Guaraní Peoples」という複数形が適しています。
Linglobeでは、グアラニーを一つの均一な民族として扱わないため、ページ名に「Guaraní Peoples」を使用します。
地域ごとの名称には、Mbya、Mbyá、Kaiowá、Paĩ Tavyterã、Ava、Ñandeva、Nhandewaなどがあります。
Avaは、いくつかのグアラニー語変種で「人」や「人間」に近い意味を持つ言葉です。
Ñandevaは、「私たち」や「私たち自身の人々」に関係する言葉として説明されます。しかし、その名称がどの民族を表すかは国と地域によって異なります。
ブラジルでÑandevaまたはNhandewaと呼ばれる人々と、パラグアイのチャコ地方でGuaraní Ñandevaと分類される人々は、常に同一の集団ではありません。
また、ボリビアやアルゼンチンの歴史資料では、一部のグアラニーを表す外部からの名称としてChiriguanoが使われてきました。
現在でも学術資料や歴史資料に現れる名称ですが、多くの現代の組織や人々は、自称であるGuaraníやAva Guaraníを使用しています。

歴史とルーツ

ヨーロッパとの接触以前

グアラニーの祖先は、ヨーロッパ人が南アメリカへ到来する以前から、パラナ川、パラグアイ川、ウルグアイ川の流域や、大西洋岸森林、チャコ地方などに暮らしていました。

トウモロコシ、キャッサバ、豆、カボチャ、サツマイモ、落花生などを栽培し、漁業、狩猟、植物採集を組み合わせて生活していました。
河川は、食料を得る場所であるだけでなく、移動、交易、親族間の訪問、情報交換にも利用されました。
集落は親族関係を中心に形成され、複数の集落が言語、婚姻、交易、儀礼などを通じて結びついていました。
グアラニー全体を統治する一つの王国や中央集権的な国家が存在したわけではありません。地域ごとの共同体と指導者が、それぞれの土地と社会を維持していました。

ヨーロッパ人との接触

16世紀になると、スペインとポルトガルの植民地支配がグアラニーの領域へ拡大しました。

ヨーロッパから持ち込まれた感染症によって、多くの先住民族が命を失いました。
スペインの支配地域では、encomiendaと呼ばれる制度などを通じて、先住民族の労働力が農園、牧場、輸送、建設などに利用されました。
現在のブラジル側からは、bandeirantesと呼ばれる武装集団が内陸部へ入り、奴隷として売るために先住民族を捕らえました。
土地の占有、強制労働、奴隷狩り、感染症、宣教活動は、グアラニーの人口、集落、移動、社会関係に大きな影響を与えました。

イエズス会のミッション

17世紀から18世紀にかけて、イエズス会はグアラニーを中心とする先住民族を集め、reducciónまたはmissionと呼ばれる宣教集落を設置しました。

これらのミッションは、現在のパラグアイ、アルゼンチン、ブラジルにまたがる地域に形成されました。
ミッションでは、キリスト教教育、農業、牧畜、工芸、音楽、文字教育などが行われました。
グアラニー語は宣教や教育にも使用され、辞書、文法書、宗教文書などが作られました。
ミッションは植民地体制とキリスト教化の一部でした。一方で、グアラニーの人々が共同生活、言語、農業、音楽、地域的な組織を維持し、奴隷狩りに抵抗する場所として機能した面もあります。
そのため、ミッションを完全に平和な共同体として描くことも、グアラニー文化が完全に失われた場所として描くことも適切ではありません。
また、すべてのグアラニーがミッションで暮らしていたわけではありません。宣教師の支配を避け、森林や河川沿いで独自の生活を続けたコミュニティもありました。
現在、いくつかのミッション遺跡は世界遺産などに登録されています。ただし、これらはヨーロッパ人宣教師だけが残した遺産ではなく、建設、農業、工芸、音楽、生活を担ったグアラニーの歴史とも結びついています。

グアラニー戦争

1750年、スペインとポルトガルはマドリード条約を結び、南アメリカの植民地境界を変更しました。

この条約によって、ウルグアイ川東岸にあった七つのグアラニー・ミッションはポルトガル側へ移され、住民には土地を離れることが求められました。
グアラニーの人々は移住命令に抵抗し、スペイン・ポルトガル連合軍との間で戦闘が起こりました。
これはグアラニー戦争と呼ばれ、1750年代半ばまで続きました。
Sepé Tiarajuは、この抵抗を率いた人物の一人として知られています。
戦争によって多くのグアラニーが命を失い、集落と農地が破壊されました。
その後、イエズス会は1759年にポルトガル領から、1767年にスペイン領から追放されました。宣教師の追放後、ミッションの政治・経済的な仕組みは変化し、多くの住民が別の地域へ移動しました。

19世紀の国境と土地

19世紀にパラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアなどの国家が形成されると、グアラニーの領域は複数の国境によって分けられました。

新しい国境が引かれても、親族関係、言語、訪問、交易、儀礼のつながりが直ちに消えたわけではありません。
一方、牧場、農園、yerba mateの採取、鉱業、林業、軍事拠点などが拡大し、多くのコミュニティが土地を失いました。
土地の所有を示す国家の文書と、グアラニーが世代を超えて利用してきた領域の範囲が一致しないこともありました。

Kuruyukiとボリビアのグアラニー

ボリビアのチャコ地方では、植民地時代から共和国成立後にかけて、牧場や農園の拡大、労働の強制、土地の占有に対する抵抗が続きました。

1892年、Kuruyukiでボリビア政府軍とグアラニーの抵抗勢力との間に大規模な戦闘が起こりました。
グアラニー側は敗北し、多くの人々が殺害、拘束、強制移住されました。生き残った人々の一部は農園や牧場で過酷な労働を課されました。
Kuruyukiは、ボリビアのグアラニーにとって、土地、抵抗、犠牲、文化の再生を記憶する重要な場所となっています。

20世紀から現在まで

20世紀には、道路、鉄道、都市、農業開発、ダム、牧場、林業、鉱業などが、グアラニーの領域へさらに拡大しました。

ブラジルでは、一部のGuarani KaiowáやÑandevaが小さな保留地へ移され、伝統的に利用してきた土地の多くが農地や牧場へ変えられました。
パラグアイやアルゼンチンでは、森林伐採、農地の拡大、土地所有の集中がコミュニティに影響を与えました。
ボリビアのチャコ地方では、20世紀後半まで農園での隷属的な労働が残った地域もありました。
それぞれの国で、グアラニーの組織は土地の返還と法的承認、言語教育、医療、自治、森林や水源の保全などを求めて活動してきました。

文化

家族・共同体・指導者

グアラニー社会では、家族と親族関係が生活の重要な基盤です。

親子や兄弟だけでなく、祖父母、おじ、おば、いとこ、婚姻によってつながる家族などが、農作業、子育て、食料、住居、儀礼を支えます。
ただし、家族制度と社会組織は、民族、地域、宗教、都市と農村などによって異なります。
地域によっては、共同体の代表者をmburuvichaと呼ぶことがあります。
政治的な代表者のほか、宗教的な知識、歌、治療、物語、儀礼を担う人々がいます。karaí、kuña karaí、ñanderu、ñandesy、opyguaなどの名称が使われる場合がありますが、役割と呼称は地域ごとに異なります。
これらをすべて同じ意味の「首長」や「シャーマン」として説明することはできません。

TekoとTekoha

グアラニー文化を理解するうえで重要な言葉に、tekoとtekohaがあります。

Tekoは、生き方、存在のあり方、習慣、社会的な秩序などに関係する言葉です。
Tekohaは、しばしば「生活する場所」や「共同体の土地」と訳されます。
しかし、単なる村や土地の区画だけを意味するものではありません。
森林、川、水源、農地、住居、道、墓地、儀礼の場所、動植物、親族関係など、人々が自分たちの生活を成り立たせるために必要な領域全体と結びついています。
Ñande rekoまたはnhanderekoという表現は、「私たちの生き方」に近い意味で使われます。
これらの言葉の綴り、発音、意味の範囲は、グアラニー語の変種によって異なります。一つの固定された規則や、すべてのグアラニーに共通する哲学として単純化しないことが大切です。

農業と森林

グアラニーの生活では、トウモロコシとキャッサバが長く重要な役割を持ってきました。

豆、カボチャ、サツマイモ、落花生、果物なども栽培されます。
地域によっては、複数の作物を同じ畑で育て、収穫時期の違いを利用してきました。
漁業、狩猟、蜂蜜、果物、木の実、薬用植物などの採集も、食生活と文化的な知識に関係しています。
現在では、農業、林業、牧畜、工芸、観光、建設、商業、教育、行政など、仕事は多様です。
すべてのグアラニーが伝統的な自給農業だけで暮らしているわけではありません。

食文化

トウモロコシは、日常の食事だけでなく、栽培、収穫、儀礼、親族関係とも結びついています。

キャッサバは、ゆでる、焼く、粉にするなど、さまざまな方法で利用されます。
Mbya Guaraníの食文化には、トウモロコシと落花生などを使うavachikuiをはじめ、地域の農作物から作られる料理があります。
Ka’aは、yerba mateとして知られる植物を表すグアラニー語です。
その葉から作る飲み物は、現在ではパラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなどの国民的な文化として広く知られています。
しかし、国民文化としてのmateやtereréと、先住民族のグアラニーが土地、植物、親族、儀礼の中で受け継いできた利用方法は、完全に同じではありません。

住居と集落

グアラニーの住居は、地域、気候、利用できる素材、土地の広さ、経済状況によって異なります。

木材、竹、土、ヤシの葉などを使った住居がある一方、れんが、コンクリート、金属板などの現代的な建材を使う家庭もあります。
農地、森林、水源、学校、道路、都市との距離によって、集落の形も変わります。
Mbyaの一部のコミュニティには、opyと呼ばれる祈りや共同体のための建物があります。
Opyは観光用の施設ではなく、宗教的・社会的に重要な場所です。内部の儀礼、歌、道具、知識には、外部へ公開されないものもあります。
そのため、許可なく撮影したり、神聖な建物を一般的なグアラニー文化の装飾として再現したりすることは適切ではありません。

籠・木工・装飾品

グアラニーの手仕事には、籠、木工品、土器、織物、種や植物素材を使った装飾品などがあります。

籠には、竹、つる、ヤシ、その他の地域植物が使われます。
食料の運搬や保存に使う籠のほか、現在では販売用に作られる小型の籠や装飾品もあります。
木材からは、生活道具、楽器、動物を表す彫刻、玩具などが作られます。
種、木の実、植物繊維を使った首飾りや腕輪も知られています。
これらは観光客向けに突然作られた文化ではありません。生活の中で培われた植物の知識や加工技術をもとに、現代の市場や芸術活動へ対応しながら発展しているものです。

音楽・歌・物語

グアラニーの文化では、歌、祈り、物語、名前、言葉が重要な役割を持っています。

歌は、娯楽だけでなく、子どもの教育、共同体の記憶、農業、治療、宗教的な実践などと結びつく場合があります。
Mbyaの一部の儀礼では、mbarakaと呼ばれる楽器や、竹を地面へ打ちつけて音を出すtakuapuなどが使われます。
ただし、楽器の名称、形、用途は地域によって異なります。
現在では、伝統的な歌や楽器だけでなく、ギター、ヴァイオリン、合唱、ロック、ラップ、映像、デジタル音楽などを使って、グアラニー語と現代の経験を表現する人々もいます。

Arete Guasu

Arete Guasuは、「大きな祭り」または「偉大な祝い」に近い意味を持つ名称です。

特にボリビア、アルゼンチン、パラグアイのチャコ地方に暮らすグアラニーの間で重要な祭りとして知られています。
トウモロコシの収穫、共同体の再会、音楽、踊り、祖先の記憶、生命の更新などと結びついています。
地域によっては、仮面、太鼓、笛、輪になって行う踊りなどが見られます。
Arete Guasuは、すべてのグアラニー諸民族が同じ形で行う共通の祭りではありません。

旗・シンボル

すべてのグアラニー諸民族を代表する、世界共通の公式旗は確認されていません。

インターネット上には「Guaraní flag」と呼ばれる複数のデザインがあります。
しかし、それらの中には、地域組織、政治運動、文化団体、スポーツクラブなどの旗も含まれています。すべてのグアラニー・コミュニティが承認した共通旗として扱うことはできません。
パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアの国旗も、それぞれの国家を表す旗であり、グアラニー民族だけを表すものではありません。

APGの旗

ボリビアのAsamblea del Pueblo Guaraníは、茶色、緑色、水色からなる旗を使用しています。
茶色は大地、緑色は自然、水色は空や宇宙との関係を表すものとして説明されています。
この旗は、ボリビアのグアラニー組織と政治運動を表す重要な旗です。
ただし、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチンを含むすべてのグアラニー諸民族の共通旗ではありません。
掲載する場合は「Flag of the Asamblea del Pueblo Guaraní in Bolivia」など、何を表す旗なのかを明記する必要があります。

APGの旗
APGの旗

Tekohaと土地

森林、河川、農地、水源、集落を含むtekohaは、グアラニーの生活と文化的な継続性を表す重要な存在です。
土地は単なる背景や天然資源ではなく、言語、家族、食料、祖先、物語、儀礼をつなぐ場所です。


トウモロコシとキャッサバ

トウモロコシとキャッサバは、食料、農業、季節、共同作業、祭りと結びついています。
ただし、一つの植物をグアラニー民族全体の公式紋章として扱うことはできません。


籠と植物素材

籠や植物素材の装飾品は、森林に関する知識、生活技術、家族内での継承、現代の工芸活動を表します。
模様、素材、編み方には民族、地域、家族、制作者による違いがあります。
一つの模様を「すべてのグアラニーに共通する神聖な模様」と説明することは適切ではありません。


神聖な道具の扱い

Mbyaの宗教的指導者などが使用するpetynguaと呼ばれるパイプや、opyの内部で使われる道具には、宗教的な意味があります。
Arete Guasuの仮面にも、地域の儀礼と歴史に関係する意味があります。
これらをグアラニー全体の一般的なロゴや装飾として使用する場合は、文化的・宗教的な背景への配慮が必要です。

言語

グアラニー諸語は、トゥピ語族のトゥピ・グアラニー語派に属します。

パラグアイ・グアラニー語、Mbya、Kaiowá、Paĩ Tavyterã、Ava Guaraní、Ñandeva、ボリビアのグアラニー語など、互いに近い複数の言語または言語変種があります。
研究資料によっては、これらを一つのグアラニー語の方言として分類します。
一方、発音、語彙、文法、相互理解の違いを重視し、それぞれを近縁の別言語として扱う研究もあります。
そのため、「グアラニー語には一つだけの正しい話し方がある」と説明することはできません。

パラグアイ・グアラニー語

パラグアイ・グアラニー語は、先住民族だけでなく、パラグアイ社会の広い範囲で使用されています。

パラグアイ憲法第140条では、スペイン語とグアラニー語が公用語と定められています。
都市、農村、家庭、音楽、テレビ、ラジオ、政治など、多くの場面で使われています。
スペイン語とグアラニー語を組み合わせた話し方は、一般にJoparaまたはYoparáと呼ばれます。
ただし、国家の公用語となっているパラグアイ・グアラニー語と、Mbya、Paĩ Tavyterã、Ava Guaraníなどの先住民族が話す言語変種は完全に同じではありません。
パラグアイ・グアラニー語を話せることだけで、その人が先住民族としてのグアラニーであると判断することはできません。
同様に、スペイン語やポルトガル語を主に使用する人であっても、家族、共同体、系譜、自己認識を通じてグアラニーとして生きている場合があります。

各国での位置づけ

ボリビアでは、憲法によってグアラニー語が国の公用語の一つに位置づけられています。

グアラニー地域では、地域の言語と文化を取り入れた教育教材や学校教育が整備されています。
アルゼンチンでは、コリエンテス州がグアラニー語を代替的な公用語として認めています。また、ミシオネス州、サルタ州、フフイ州などでは、先住民族の言語教育や異文化間二言語教育が行われています。
ブラジルでは、グアラニー諸語は国全体の公用語ではありませんが、先住民族学校、地域の教育活動、書籍、映像、音楽などを通じて使用されています。
ブラジルの2022年国勢調査では、Guarani Kaiowá語の話者が38,658人記録され、国内で話者数の多い先住言語の一つとなっています。

文字と表記

現在のグアラニー諸語は、主にラテン文字を使って書かれています。

パラグアイ・グアラニー語では、ã、ẽ、ĩ、õ、ũ、ỹなどの鼻母音を表す文字や、ñ、g̃、声門閉鎖音を表す記号などが使われます。
しかし、正書法は国、民族、教育制度、言語変種によって異なります。
同じ言葉でも、Mbya、Mbyá、Ñandeva、Nhandewaなど、地域によって綴り方が変わることがあります。
一つの国の正書法を、すべてのグアラニー諸語へそのまま適用することはできません。

言語の継承

グアラニー語が公用語として広く使われているパラグアイでも、すべての先住民族のグアラニー語変種が安全に継承されているわけではありません。

話者数の少ない地域変種では、土地の喪失、都市への移住、学校教育、差別、スペイン語やポルトガル語の優勢などによって、子どもへの継承が弱まる場合があります。
現在では、先住民族学校、地域ラジオ、辞書、教材、歌、絵本、映像、デジタルメディアなどを通じて、言語を次世代へ伝える活動が行われています。

基本的な表現

標準的なパラグアイ・グアラニー語では、次のような表現が広く紹介されています。

Mba’éichapa? は、「お元気ですか」「こんにちは」に近い意味で使われます。
Aguyjeは、「ありがとうございます」を表す言葉です。
ただし、挨拶、発音、綴りは言語変種と地域によって異なります。
これらをMbya、Kaiowá、Paĩ Tavyterã、Ava Guaraníなど、すべてのグアラニー諸語に共通する唯一の表現として扱うことはできません。

伝統的な遊び・競技

Manga Ñembosarái

Manga ñembosaráiは、グアラニーの歴史的なボール遊びとして知られています。

Mangaはボール、ñembosaráiは遊びに関係する言葉です。
17世紀に作られたAntonio Ruiz de Montoyaのグアラニー語資料には、グアラニーの人々が足を使ってボールを扱う遊びを行っていたことが記録されています。
地域の植物から得られる樹脂などを使った、弾力のあるボールが利用されたと説明されることがあります。
参加者はボールを足で蹴り、地面へ落とさないように続けたり、相手側へ送り返したりしたと考えられています。
ただし、地域、時代、資料によってルールの説明は異なります。
Manga ñembosaráiは、近代サッカーが成立する以前から、グアラニーが足を使うボール遊びを行っていたことを示す重要な記録です。
一方、現在のサッカーの統一ルールは19世紀のイギリスで整備されました。
そのため、「グアラニーが現在のサッカーをそのまま発明した」と説明するより、「近代サッカーとは別に、古くから足を使った独自のボール遊びが存在した」と説明する方が正確です。


Peteca

ブラジルのGuarani Mbyaの子どもの遊びとして、petecaに似た羽根付きの道具を、手で打ち合う遊びが記録されています。

羽根、葉、トウモロコシの皮など、地域で入手できる素材から道具を作ることがあります。
遊び方には、一人で落とさないように打ち続ける方法や、複数の人で打ち合う方法があります。
Petecaに似た遊びは、ブラジルの複数の先住民族に見られます。そのため、グアラニーだけに固有の遊びと断定することはできません。


キャッサバ抜きの遊び

Guarani Mbyaの子どもの遊びとして、キャッサバを引き抜く動作をまねた集団遊びがあります。

参加者は前の人の腰などにつかまって列を作り、別の参加者が、列から一人ずつ引き離そうとします。
つながった人々は、簡単に離れないよう協力します。
農作物の収穫をまねる遊びであると同時に、力、協力、身体の使い方を学ぶ活動でもあります。
名称と細かなルールは、地域やコミュニティによって異なります。


現代のサッカー

現在、サッカーは多くのグアラニー・コミュニティで親しまれています。

子どもの遊び、学校の活動、地域間の大会、祭りなどで行われます。
先住民族のチームや選手が、地域大会や全国規模の大会へ参加することもあります。
ただし、現代のサッカーを行うことと、Manga ñembosaráiをそのまま継承することは同じではありません。
グアラニーの人々は、歴史的な遊びを持ちながら、世界的な現代スポーツも自分たちの生活へ取り入れています。

Introduction video

Guaranies
jogo-peteca

よくある誤解

「グアラニーは一つの均一な民族」

グアラニーの人々は、互いに近い言語と文化的なつながりを持っています。
しかし、Mbya、Kaiowá、Paĩ Tavyterã、Ava Guaraní、Ñandeva、Guaraní Occidentalなどには、それぞれ異なる歴史、領域、言語変種、儀礼、政治組織があります。
一つのコミュニティで確認された習慣を、すべてのグアラニーに共通するものとして紹介することはできません。

「パラグアイ人は全員、先住民族のグアラニー」

パラグアイでは、多くの先住民族ではない人々もグアラニー語を話します。
国民文化や言語としてのグアラニーと、先住民族としてのグアラニーのアイデンティティは関係していますが、同じものではありません。
先住民族としてのアイデンティティには、共同体、家族、系譜、土地、歴史、自己認識などが関係しています。

「グアラニーはイエズス会のミッションで生まれた」

グアラニーの歴史は、イエズス会が南アメリカへ到来するはるか以前から続いています。
ミッションはグアラニー史の重要な一部ですが、歴史の始まりではありません。
また、すべてのグアラニーがミッションで生活したわけではありません。

「グアラニーが現在のサッカーを発明した」

グアラニーが近代サッカー以前から、足を使ったボール遊びを行っていたことを示す記録はあります。
しかし、その競技と現代のサッカーは、ルール、組織、歴史的な発展が異なります。
Manga ñembosaráiは独自の文化的な遊びとして紹介し、近代サッカーと完全に同じ競技だったと断定しない方が適切です。

「グアラニーは森林の中だけで暮らしている」

森林や河川は、多くのグアラニー・コミュニティの生活と文化にとって重要です。
一方、現在では都市、都市周辺、農業地域、小規模な保留地など、さまざまな場所に暮らす人々がいます。
都市へ移住したことや、携帯電話、車、学校、インターネットなどを利用することは、グアラニーとしてのアイデンティティを失ったことを意味しません。

「グアラニー語が公用語なので、すべての言語が安全に残っている」

パラグアイ・グアラニー語は数多くの人々に話されています。
しかし、Mbya、Paĩ Tavyterã、Kaiowáなどの言語変種は、それぞれ異なる話者数と継承状況を持っています。
国家の公用語としての地位だけでは、すべての先住言語変種、土地、教育、文化的な権利が守られるわけではありません。

「土地なき地を求めて移動し続けてきた」

Yvy Marã E’ỹは、「損なわれることのない土地」や「悪のない土地」などと訳される、グアラニーの一部の思想や物語に関係する表現です。
研究者は、宗教的な世界観、移動、社会的な再生との関係を論じてきました。
しかし、その意味と重要性は民族、地域、時代によって異なります。
グアラニーのすべての移動を、一つの神話だけで説明することはできません。戦争、土地の喪失、親族関係、農業、仕事、教育、国家の政策など、さまざまな理由が関係しています。

現代のグアラニー

現在のグアラニーの人々は、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアの農村、森林地域、都市、国境地域などで暮らしています。

農業、漁業、工芸、観光、建設、商業、教育、医療、行政、研究、芸術、映像制作、音楽、スポーツなど、活動する分野は多様です。
グアラニー語を第一言語として使う人、スペイン語やポルトガル語との二言語を使う人、主に国家の多数派言語を話す人、成人後に祖先の言語を学び直す人がいます。
教育の分野では、グアラニー語を話す教師の育成、異文化間二言語教育、地域ごとの教材作成、子ども向けの書籍や映像制作などが行われています。
映画制作者、写真家、作家、詩人、音楽家、ラッパーなどが、自分たちの言葉と視点から、土地、差別、家族、都市生活、若者の経験を表現しています。
国境を越えた地図作りや文化交流では、各国のコミュニティが協力し、グアラニーの領域が国家の境界だけでは説明できないことを示しています。

一方、コミュニティによっては、土地の不足、森林伐採、農薬、水質汚染、道路やダムの建設、医療や教育へのアクセス、暴力、差別などの問題があります。
ブラジルのGuarani Kaiowáをはじめ、一部のコミュニティは、伝統的な土地へ戻って生活するためのretomadaと呼ばれる土地回復の活動を行っています。
パラグアイ、アルゼンチン、ボリビアでも、土地の法的承認、森林と水源の保全、自治、言語教育などを求める活動が続いています。

これらの問題は、すべてのグアラニー・コミュニティで同じではありません。
大西洋岸森林、パラナ川流域、チャコ地方、農村、都市では、歴史、環境、人口、必要とされる政策が異なります。
グアラニー文化は、ミッション遺跡、伝統衣装、森林の中だけに存在するものではありません。

家族、tekoha、言語、農業、歌、物語、工芸、学校、映像、音楽、政治組織、現代の仕事を通じて、グアラニーの人々は、それぞれの生き方と文化を現在へつないでいます。

Related Peoples