ナバホ、ディネとはどのような人々?
ナバホの人々は、自らを Diné(ディネ)と呼びます。「人々」と訳される呼び名です。故郷はアメリカ南西部にあり、ナバホ・ネーションの領域はアリゾナ州、ニューメキシコ州、ユタ州の一部に広がっています。その領域の外で暮らす人もいます。[1][19]
ネーションの領域、自治政府、一人ひとりの生活は、関わり合いながらも異なるものです。ディネの文化には織物や銀細工に加え、音楽、絵画、彫刻、詩など、現在の多彩な表現もあります。[1]
長いスカートを着た人、羊を世話する人、自宅で勉強する人。それぞれが文化に出会う入口です。衣服も、誰が作り、いつ着て、暮らしとどうつながるかを知ると、見え方が広がります。
衣装は時代や着る場面によって変わる
ビール(biil):織物から作る衣服
ビールは、二枚の織物からなる衣服です。オートリー博物館には、フアニータが1868~1875年に作った実例が収蔵され、手紡ぎのチュロ種の羊毛などの材料が記録されています。年代と作者の分かる品を見ると、衣装を具体的な時代と作り手の仕事として理解できます。[3]
ブラウス、スカート、集まりの装い
よく知られる女性の装いには、長いスカート、長袖のベルベットのブラウス、ショール、ベルトなどがあります。素材や流行も変化してきました。ナバホ・ネーション観光局は男性のシャツ、ズボン、モカシン、装身具も紹介し、現在の日常生活では現代的な服も一般的であると説明しています。[2]
ギャラリーは教育用のイラストです。ある装いが集まりや特定の時代に合っていても、全員が毎日同じ服を着るわけではありません。歴史的な衣装の再現と、現在の生活を想定した場面を、説明文で区別して楽しめます。
コンチョベルトを近くで見る
コンチョベルトには、装飾された金属の部品が連なっています。国立アメリカ・インディアン博物館のディネの実例には、革、銀、ターコイズが用いられ、打刻や象嵌の技法が記録されています。全身像では見えにくい構造や加工を、細部から見てみましょう。[4]
羊から糸へ、糸から織物へ
羊は食と繊維、土地での暮らしをつなぎます。羊毛を刈り、洗い、梳き、紡ぎ、必要に応じて染め、縦型の織機で織る。Lam人類学博物館はその工程と、衣服や毛布を織る営みが、市場の変化に伴って販売用のラグにも広がった歴史を紹介しています。[6]
人から人へ伝わる、現在の技術
ディネの織り手で牧畜にも携わるケヴィン・アスパースは、スミソニアンのインタビューで、母から織りを学び、家族の繊維の伝統を受け継いだと話しています。自身で糸を紡ぎ、染める実践も紹介されています。これは一人の作り手の事例で、技法や素材、働き方には違いがあります。[7]
米国内務省の先住民美術工芸委員会は、織物の作者や来歴を確認することを勧めています。「南西部らしい模様」とひとまとめにするより、作り手、技術、用途に目を向けると、一枚の布から多くのことを学べます。[8]
銀細工も変化し続ける芸術
スコットランド国立博物館は、ペリー・ショーティーなど、名前の分かる作家の作品を通して、南西部の装身具の歴史と現代の表現を紹介しています。銀やターコイズだけで作者の出自は分かりません。作り手や来歴も、品物を知る手掛かりです。[5]
住まい、家族、食べ物
ホーガンと現在の住まい
ホーガンはディネの伝統的な住まいです。形や向きにも文化的な意味があり、ナバホ・ネーション観光局は周囲の世界との関係から家を説明しています。歴史的なホーガン、現代の住宅、共同体の建物では場面が異なるので、画像にもどのような住まいを描いたかを添えたいところです。[2]
米国国立公園局は、学校、病院、商店、行政での仕事や、自宅で作った工芸品の販売も紹介しています。牧畜の風景とともに、こうした現在の仕事からも地域の暮らしが見えてきます。[9]
自己紹介で語られる、家族とのつながり
ディネの自己紹介には、氏族との関係や出身地を含めることがあります。Navajo Word of the Day は、母方と父方の氏族、母方と父方の祖父の氏族をたどる紹介を、音声とともに説明しています。家族との関係は写真の姿だけでなく、言葉の中でも表されます。[10]
食べ物の名前を知る
ナバホ・ネーションの教育資料には、トウモロコシ、カボチャ、豆、モモ、ナバホ・ティーなどの食物・植物の語彙が載っています。名前を知ることは、食卓を農業や土地の知識につなげる入口になります。すべての家庭に共通する献立を表す一覧ではありません。[12]
Diné bizaad:言葉の音と文字
ナバホ語は、自らの言葉で Diné bizaad と呼ばれます。まず話者の声を聞いてみましょう。短い挨拶にも、読み方の目安だけでは伝えきれない音の特徴があります。[1]
| 表現 | 使い方の入口 |
|---|---|
| Yá’át’ééh | 「こんにちは」などの挨拶。「よい」という意味ともつながります。 |
| Ahéhee’ | 「ありがとう」。感謝を表す言葉。 |
ここでの綴りは、音声付きの Navajo Word of the Day の自己紹介資料に合わせています。録音で、前後の言葉とともに聞くことができます。[10]
文字に付いた印は何を表す?
現在のナバホ語表記には、ラテン文字に加え、音を区別する文字や記号を使います。同じ母音を二つ並べると長母音、鋭アクセントは高い声調、母音の下のフックは鼻音化を表します。アポストロフィは声門に関わる音を示します。ł は子音の文字で、鼻母音ではありません。[11]
これらの違いは音や意味に関わります。人名や表現をキャプションに写すときも、アクセントや母音の印を保つことが大切です。短い訳語やローマ字の並びだけで発音を覚えようとせず、音声と行き来してみましょう。[11]
遊び、物語、一緒に学ぶ時間
Késhjééʼ:冬のシューゲーム
シューゲームは冬の夜に人々が集まる営みです。ナバホ・ネーションの紹介では、モカシン、ユッカの棒、歌、相手を惑わせる駆け引きが登場し、昼と夜に関する教えと結び付けられています。遊び方だけでなく、季節や集まりの意味も一緒に知ると理解が深まります。[13]
棒を使うゲーム
2015年の Navajo Times は、ナバホ・ネーション博物館で子どもたちが棒ゲームを学ぶ講習を取材しています。記事では tsidił と表記され、チェッカーとは異なる遊びとして紹介されています。名称や教え方は、参照する資料に即して確かめたい部分です。[14]
輪を転がすフープ・レース
別の博物館プログラムでは、Tsibaas と呼ばれるフープ・レースが紹介されました。木の輪を棒で進める遊びです。こうした集まりからは、言葉、体の動き、人から教わる時間がつながっていることが分かります。[15]
ここでは記録のある事例を紹介しています。全民族共通のルールブックではありません。実際に手順を紹介するときは、教える人や共同体、季節に関する説明も確認します。
歴史:強制移動、帰還、そして軍務
ロング・ウォークとボスケ・レドンド
1860年代、米軍は多くのディネの人々を故郷からニューメキシコのボスケ・レドンドへ強制的に移動させました。国立アメリカ・インディアン博物館は、行進や抑留、過酷な被害を、口述証言と歴史資料から紹介しています。[16]
1868年の条約によって故郷への帰還が可能になり、この条約は現在もディネの主権に関わる重要なものです。家族、家畜、生業を立て直す努力はその後も続きました。織物や共同体の歴史も、こうした経験と重なっています。[17]
コードトーカーが作り上げた暗号
第二次世界大戦中、ナバホの海兵隊員たちは、自らの言語を基に暗号を作りました。最初の29人の隊員は、語の置き換えやアルファベットを表す仕組みを考案し、記憶しました。功績を支えたのは、言語能力とともに、訓練や専門的な符号化の技術でした。[18]
スミソニアンの解説は、これを通常の文章をそのまま翻訳して伝える方法と区別しています。他の先住民族の言語話者による軍務も取り上げ、ナバホの隊員の働きを、より広い歴史の中に位置付けています。[18]
現在も続くネーションと言葉
ナバホ・ネーションには独自の政府があります。公式の歴史紹介は、1968年5月21日に旗が採用されたことも記録しています。この旗はナバホ・ネーションを表すもので、アメリカ先住民族全体の共通の旗ではありません。[19]

2024年12月、ナバホ・ネーションは Diné bizaad を公用語とする法制について発表しました。その後の公開学習企画では、物語と音声を組み合わせています。現在の話者の声から言葉に出会える入口です。[20][21]
Hózhó は、美、秩序、調和、人や世界との関係から説明される概念です。米国内務省の先住民美術工芸委員会は、仕事、家族、知識、土地とのつながりから紹介しています。単に装飾の模様を意味する言葉として扱うより、こうした関係から考えたいものです。[8]
衣装や手仕事は、文化を知る身近な入口になります。その先で、着る人、作る人、教える人、変えていく人の暮らしにも目を向けてみましょう。
よくある質問
ギャラリーの衣装を、全員が毎日着ていますか?
いいえ。装いは個人、時代、場面によって異なります。現在は現代的な普段着も一般的で、伝統的な装いを特別な集まりで着ることもあります。[2]
シューゲームは靴を投げる競技ですか?
いいえ。冬のシューゲームには、独自の道具、歌、文化的な背景があります。靴投げ競争とは異なります。[13]





