ワラオの人々

ワラオの人々 Visual Summary

概要

ワラオの人々は、南アメリカ北部を流れるオリノコ川のデルタ地帯を主要な故郷とする先住民族です。

その中心となる地域は、現在のベネズエラ北東部に位置するデルタ・アマクロ州です。オリノコ・デルタには大小無数の川、水路、湿地、マングローブ林、ヤシの生える森林が広がっています。
ワラオの人々は、カヌーを使った移動と漁業、モリチェヤシをはじめとする植物の利用、狩猟、農業、籠やハンモックの製作などを組み合わせながら、この水に囲まれた環境で生活してきました。
そのため、ワラオはしばしば「カヌーの人々」や「水辺の人々」と紹介されます。

しかし、現在のワラオが全員、水上家屋で同じ生活を送っているわけではありません。
デルタの川沿いに暮らす人、陸上の集落に暮らす人、州都トゥクピタやベネズエラ各地の都市へ移住した人、ブラジル、ガイアナ、トリニダード・トバゴなどへ移動した人もいます。
教師、医療関係者、通訳、行政職、工芸家、商業従事者、建設労働者、漁師、農民など、現在の仕事と生活も多様です。

ワラオは、外部社会から隔絶された「水上の民族」ではありません。
長い歴史の中で交易、宣教、国家政策、環境改変、都市化、国境を越える移住などを経験しながら、言語、家族関係、川の知識、手仕事、物語を次世代へ伝えている人々です。

居住地と地域ごとの人々

オリノコ・デルタ

オリノコ川は南アメリカ有数の大河で、ベネズエラ東部から大西洋へ注いでいます。

河口付近では川が多数の支流や水路に分かれ、広大なデルタを形成しています。
スペイン語では、デルタを流れる比較的小さな河川や水路をcañoと呼びます。これらの水路は、ワラオの集落、漁場、植物の採取地、町、親族の家を結ぶ道でもあります。
川の水位は雨季と乾季、海の潮汐によって変化します。塩分の影響、土壌、植生、魚の種類も場所によって異なります。
そのため、オリノコ・デルタを一つの均一な湿地として説明することはできません。
ワラオの暮らしも、淡水域、汽水域、海岸に近い地域、比較的乾いた土地などによって異なります。

上部・中央・下部デルタ

オリノコ・デルタは、上部デルタ、中央デルタ、下部デルタなどに分けて説明されることがあります。

上部デルタは内陸側に位置し、比較的乾いた土地や農業に適した場所があります。トゥクピタ周辺の町や道路に近い集落もあります。
中央デルタには多くの川や湿地が広がり、カヌーによる移動、漁業、ヤシや森林資源の利用が重要な地域があります。
下部デルタは大西洋に近く、潮汐と塩水の影響を強く受けます。沿岸漁業やマングローブ環境と関係するコミュニティもあります。
ただし、これらは地理と環境を説明するための区分です。
すべてのワラオが三つの固定的な民族集団に分かれているわけではありません。家族の移動、婚姻、交易、仕事などを通じて、地域間の交流も行われてきました。

デルタ・アマクロ州以外の地域

ワラオの主要な人口はデルタ・アマクロ州にありますが、隣接するモナガス州、スクレ州、ボリバル州にもコミュニティがあります。

モナガス州では、オリノコ・デルタに近い湿地や河川周辺だけでなく、マトゥリンなどの都市周辺に暮らす人々もいます。
ボリバル州では、シウダー・グアヤナ、サン・フェリクス、オリノコ川沿いの地域などにワラオの家族が移住してきました。
教育、医療、仕事、物品の販売、家族との合流、洪水、環境の変化など、移動の理由はさまざまです。

ガイアナとスリナム

ワラオ語を話すコミュニティは、ベネズエラだけでなく、ガイアナとスリナムにも記録されています。
特にガイアナ北西部には、国境が現在の形になる以前から、ベネズエラ側のデルタと交流してきたワラオの家族やコミュニティがあります。
ワラオの移動範囲や親族関係は、近代国家の国境だけでは説明できません。
一方、国境を越えて暮らすワラオが、すべて同じ国籍、法的地位、教育制度、使用言語を持っているわけではありません。
ベネズエラではスペイン語、ガイアナでは英語やガイアナ・クレオール、スリナムではオランダ語や地域の共通語との接触があります。GlottologのWarao語地域資料

都市部と国外のコミュニティ

20世紀後半から、ワラオの都市への移動は次第に拡大しました。

ベネズエラ国内では、トゥクピタ、マトゥリン、シウダー・グアヤナ、カラカスなどにワラオの家族やコミュニティがあります。
2010年代以降のベネズエラの経済・社会状況を背景に、ブラジル、ガイアナ、トリニダード・トバゴなどへ移動する人々も増えました。
ブラジルでは、国境に近いロライマ州だけでなく、アマゾナス州、パラー州をはじめ、国内の複数の都市にワラオのコミュニティが形成されています。
国連難民高等弁務官事務所は、2022年の時点で約7,000人のワラオがブラジルに暮らしていたと報告しています。ただし、この数字はその時点の推計であり、現在の世界全体のワラオ人口を示すものではありません。GlottologのWarao語地域資料

人口を示す統計

ベネズエラの2011年国勢調査では、48,771人がワラオとして記録されました。

同調査では、ワラオはワユウに次いで、ベネズエラで二番目に人口の多い先住民族でした。人口の大部分はデルタ・アマクロ州にありましたが、モナガス州、スクレ州、ボリバル州などにもコミュニティが確認されています。ベネズエラのワラオ人口に関するPROVEA資料

ただし、2011年以降、ベネズエラ国内の都市や周辺国への移住が大きく進みました。
そのため、この数字を現在の居住地別人口としてそのまま使用することはできません。
また、民族としてワラオである人の数と、ワラオ語を話す人の数は同じではありません。

呼称について

Waraoは、人々自身が使用する呼称です。

日本語では「ワラオ」のほか、過去の資料で「ワラウ」と表記されることがあります。
スペイン語や英語の歴史資料では、Guarao、Guarauno、Warrau、Warauなど、複数の綴りが使用されてきました。
現在では、民族とその言語を表す名称としてWaraoという綴りが広く使われています。
Waraoという言葉は、一般に「カヌーの人々」または「舟の人々」を意味すると説明されます。
この説明では、カヌーを表すwaと、人々を表すaraoに関係する名称とされています。

一方で、「低地の人々」「浅い水の土地に暮らす人々」とする異なる語源解釈もあります。
地域の発音や研究者による分析にも違いがあるため、Waraoという名称の意味を一つの語源だけで完全に確定することはできません。
また、「カヌーの人々」という説明は、ワラオ文化と川の深い関係を表していますが、現在のすべてのワラオがカヌーだけで生活しているという意味ではありません。

Linglobeでは、現在広く使用され、人々自身の呼称でもある「Warao People」をページ名に使用します。

歴史とルーツ

ヨーロッパとの接触以前

ワラオの祖先は、ヨーロッパ人が南アメリカへ到来する以前から、オリノコ川のデルタとその周辺で暮らしてきました。

デルタでは湿地、河川、海岸、森林、ヤシの生える土地など、異なる環境を利用する必要があります。
人々は漁業、狩猟、貝や甲殻類の採取、野生植物の利用、ヤシの管理、農業などを組み合わせて生活していました。
一部の考古学者や人類学者は、オリノコ川河口付近に、ワラオと関係する可能性のある人々が数千年前から暮らしていたと考えています。
しかし、高温多湿のデルタでは木材、植物繊維、住居などが保存されにくく、現在のワラオと古い遺跡の住民を直接結びつけることは簡単ではありません。
そのため、「ワラオ文化が7,000年間まったく同じ形で続いてきた」と断定することはできません。
歴史の長さと、生活様式が変化してきたことは両立します。ワラオとオリノコ・デルタの民族植物学研究

ヨーロッパとの接触

15世紀末から16世紀初頭にかけて、ヨーロッパの航海者がオリノコ川河口と周辺海域を記録するようになりました。

その後、スペインの植民地勢力、宣教師、商人などがデルタへ進出しました。
一方、ガイアナ地方やカリブ海を通じて、オランダをはじめとするスペイン以外のヨーロッパ商人との交易も行われました。
ワラオは、食料、カヌー、森林の産物、労働などを提供し、金属製の道具、布、容器などの外来品を入手しました。
湿地が広がり、集落が分散していたオリノコ・デルタでは、植民地政府が全域を継続的に管理することは困難でした。
しかし、そのことはワラオが外部社会から影響を受けなかったという意味ではありません。
感染症、宣教、交易、誘拐や強制労働、周辺地域の植民地化などは、人口、移動、家族関係、生活に影響を与えました。

宣教・交易・労働

植民地時代から19世紀にかけて、宣教師はワラオを教会や宣教拠点の周辺へ集めようとしました。

ただし、宣教活動はデルタ全域へ同じように広がったわけではありません。宣教拠点と深く関わったコミュニティがある一方、比較的離れた水路や湿地で生活を続けた人々もいました。
19世紀から20世紀初頭には、デルタと周辺地域でゴム、木材、バラタなどの森林資源が商業的に採取されました。
ワラオの人々は交易や賃金労働に参加しましたが、借金によって労働を拘束される仕組みや、不利な交換関係に置かれることもありました。
外部の道具や商品を取り入れたことは、ワラオ文化が消えたことを意味しません。
人々は新しい材料や技術を利用しながら、川の知識、家族の協力、カヌー製作、漁業、植物利用などを維持してきました。

20世紀のミッションと定住化

20世紀になると、カトリックの宣教団、学校、医療施設、政府機関がデルタで活動を拡大しました。

宣教拠点の周辺には、学校、礼拝施設、診療所などが設けられました。これによって教育や医療を受ける機会が生まれた一方、人々が特定の集落へ集められ、従来の移動や生活の仕組みが変化することもありました。
学校教育ではスペイン語が中心となり、ワラオ語を使う子どもが自分の言葉で学べない場合もありました。
キリスト教を受け入れた家族、ワラオの儀礼や世界観を維持した家族、両方の要素を組み合わせてきた家族がいます。
そのため、現在のワラオの宗教や儀礼を一つの形だけで説明することはできません。

1966年のカーニョ・マナモ締切り

20世紀のワラオ史に大きな影響を与えた出来事の一つが、カーニョ・マナモの締切りです。

カーニョ・マナモは、オリノコ・デルタ西部を流れる主要な水路の一つです。
1966年、洪水を抑え、農地や牧畜地を開発する計画の一環として、マナモを横切る堤防と水門が建設されました。
この事業によって、トゥクピタ周辺の洪水が抑えられた一方、下流へ流れる淡水の量が減少しました。
海水と潮汐の影響が強まり、地域によっては水と土壌の塩分上昇、酸性化、魚類や植物の変化、飲み水の不足などが起こりました。
漁業や農業、植物採取が難しくなり、別の地域や都市へ移動したワラオの家族もいます。
この事業は、デルタを単なる開発予定地として扱うことが、そこに暮らす人々の食料、水、健康、文化にどのような影響を与えるかを示しています。JICAのオリノコ・デルタ環境調査

20世紀後半から現在まで

道路、船舶交通、学校、医療施設、商業、石油関連事業、行政などが拡大すると、ワラオと都市との関係も深まりました。

工芸品や魚を販売する人、農園や建設現場で働く人、学校へ通う人、行政や教育に関わる人が増えました。
一方、土地と水の環境変化、医療や教育へのアクセス不足、感染症、栄養問題、差別、仕事の不足などによって、生活が不安定になるコミュニティもあります。
2010年代以降は、ベネズエラ国内の経済・社会状況を背景として、多くのワラオがブラジルや周辺国へ移動しました。
国境を越える移住では、ワラオ語、スペイン語、ポルトガル語などの間で通訳が必要となるほか、先住民族としての権利と、移民・難民としての法的地位の両方が問題になります。

文化

家族・集落・相互扶助

ワラオ社会では、家族と親族関係が生活の中心にあります。

伝統的な集落では、近い親族関係を持つ複数の世帯が、同じ水路や川岸にまとまって暮らすことがあります。
漁業、食料の加工、カヌーの製作、住居の建設、子どもの世話、病気の人への支援などは、家族や親族の協力によって行われてきました。
一部の地域を扱った民族誌では、結婚後、夫が妻の家族の近くで生活する傾向が記録されています。妻の両親や母方の親族が、新しい世帯の生活を支える場合もあります。
ただし、これをすべてのワラオに共通する固定的な母系制度と説明することは適切ではありません。
居住地、宗教、都市化、個人の事情によって、結婚後の住居と家族構成は異なります。
現在では、一つの家族の中でも、デルタの集落、ベネズエラの都市、ブラジルなど複数の地域に親族が分かれて暮らすことがあります。
電話やメッセージ、送金、訪問など、新しい方法も家族関係を維持するために使われています。

川・カヌー・航行

川は、ワラオの生活にとって単なる背景ではありません。

道、漁場、食料の供給源、集落間の連絡路であり、季節や潮汐を理解するための環境でもあります。
ワラオの代表的な船が、curiaraと呼ばれる丸木舟です。
伝統的なクリアラは、大きな木の幹をくり抜いて作られます。使用目的によって、少人数用の小さな舟から、家族や荷物を運ぶ大きな舟まであります。
舟を安定させ、流れや潮に合わせて進むためには、水深、風、潮汐、流木、魚の動きなどを読む知識が必要です。
子どもは、家族と一緒に舟へ乗り、漕ぎ方や川の危険を少しずつ学ぶことがあります。
現在では船外機を付けた舟も広く使われています。
したがって、ワラオの航行文化は、昔の木製カヌーだけに限定されたものではありません。現代の機械を取り入れながら、川に関する知識が受け継がれています。

住居

ワラオの伝統的な住居は、janokoと呼ばれます。

川岸や湿地に建てられるjanokoには、増水や湿気を避けるため、木の柱で床を高くしたものがあります。
このような高床式の住居は、スペイン語でpalafitoとも呼ばれます。
屋根には、テミチェヤシなどの葉が利用されてきました。伝統的な住居には壁が少ないものもあり、風を通し、家族同士が行き来しやすい構造になっています。
住居の近くにはカヌーを着ける場所があり、漁具、籠、調理器具、ハンモックなどが置かれます。
しかし、すべてのワラオが同じ高床式住居に暮らしているわけではありません。
現在では、木の板やトタンを使った家、政府や支援団体が建設した住宅、陸上の集落、都市の集合住宅、移住先の一時居住施設など、住環境は多様です。

漁業・採集・農業

魚は、ワラオの食生活において長く重要な役割を持ってきました。

川や水路、沿岸の環境に合わせて、釣り針、網、罠、銛など、さまざまな道具が使用されます。
魚の種類と漁法は、季節、水位、潮汐、淡水と塩水の違いによって変化します。
カニ、エビ、貝類などの水産物を利用する地域もあります。森林や湿地では、果実、ヤシの新芽、蜂蜜、野生動物などが食料となってきました。
農業もワラオの生活の一部です。
キャッサバ、タロイモに近いocumo、サツマイモ、バナナ、プランテン、トウモロコシなどが栽培されます。
ただし、湿地が多く、塩水の影響を受ける地域では、農業に適した土地が限られます。
そのため、漁業を中心とするコミュニティ、農業と漁業を組み合わせるコミュニティ、町で購入する食料への依存が大きいコミュニティなど、生活の形には地域差があります。

モリチェヤシと食文化

モリチェヤシは、オリノコ・デルタのワラオ文化を理解するうえで重要な植物です。

学名をMauritia flexuosaといい、湿地に群生する大型のヤシです。
実は食用となり、幹の内部に含まれるデンプンも加工して利用されてきました。
デンプンを取り出す作業では、幹の内部を細かく砕き、水で洗い、繊維とデンプンを分けます。得られたデンプンは焼いたり煮たりして食べられました。
葉や葉柄の繊維は、ハンモック、籠、縄、袋などに利用されます。昆虫の幼虫を食料として採取する場合もあり、枯れた幹も無駄にはされませんでした。
そのため、モリチェヤシは単なる野生の食料ではありません。
食事、住居、手仕事、移動、家族の共同作業と結びついた植物です。
一方、現在のワラオの食生活はモリチェヤシだけで成り立っているわけではありません。
魚、キャッサバ、米、トウモロコシ、プランテン、缶詰、パン、砂糖、油など、地域で生産・購入される多様な食品が利用されています。

ハンモック・籠・手仕事

ワラオの手仕事として特によく知られているのが、ハンモックと籠です。

モリチェヤシなどから取った繊維を洗い、乾燥させ、糸や縄に加工します。
ハンモックは寝具として使われるだけでなく、住居内の限られた空間を有効に利用できる道具でもあります。
籠、盆、袋、容器、漁具なども植物素材から作られます。
木材は、カヌー、櫂、道具、動物や人を表す彫刻などに利用されます。
こうした品物は、もともと家族の日常生活のために作られてきました。
現在では都市や観光地で販売され、家族の収入源になる場合もあります。
工芸品を単なる土産物として見るのではなく、植物に関する知識、材料の加工、形を作る技術、家族内の知識継承が組み合わされたものとして理解することが重要です。

音楽・物語・知識の継承

ワラオ文化には、物語、歌、語り、儀礼を通じて知識を伝える口承の伝統があります。

物語には、動物、川、森、祖先、人間以外の存在、病気、食料の起源などが登場します。
これらは娯楽であると同時に、危険な場所、正しい行動、家族関係、自然との付き合い方を教える役割も持っています。
音楽では、歌、ガラガラ、太鼓、笛などが使われる場合があります。
儀礼や治療に関する歌には専門的な知識が必要で、誰でも同じように行うものではありません。
現在では、学校、文化団体、録音、映像、ワラオ語の教材などを通じて、物語や歌を記録する活動も行われています。

旗・シンボル

ワラオ民族全体を代表し、すべてのコミュニティが承認した世界共通の公式旗は確認されていません。

インターネット上では「Warao flag」として、さまざまな団体や地域の旗が紹介されることがあります。
しかし、特定の組織、集落、政治運動が使用する旗を、すべてのワラオを代表する民族旗として扱うことは適切ではありません。
ベネズエラ国旗やデルタ・アマクロ州旗も、ワラオ民族だけを表す旗ではありません。
ワラオ文化を視覚的に表す要素として、次のようなものがあります。ただし、いずれも民族全体の公式紋章ではありません。

クリアラ

クリアラは、移動、漁業、交易、家族の訪問を支えてきた丸木舟です。
川を読む知識、木材の選択、舟を作る技術、世代間の学びを表す文化的な存在です。

モリチェヤシ

モリチェヤシは、食料、繊維、ハンモック、籠、縄などに利用されてきました。
湿地の環境と人間の生活が結びついていることを表す植物です。
ただし、一本のモリチェヤシをワラオ民族の公式紋章として扱うことはできません。

オリノコ・デルタの水路

大小の川や水路は、集落、親族、漁場、町を結ぶ道です。
ワラオにとってデルタは、単なる自然景観ではなく、地名、記憶、生活技術が結びついた故郷です。

Janokoとハンモック

高床式のjanokoとハンモックは、湿気、増水、風通しといったデルタの環境に適応した暮らしを表します。
一方、これらだけを使って「すべてのワラオは昔ながらの水上生活をしている」と説明しないことも重要です。

言語

ワラオ語は、一般にほかの言語との系統関係が証明されていない孤立言語として分類されています。

スペイン語、ポルトガル語、英語の方言ではなく、独自の語彙、音韻、文法を持つ先住言語です。
南アメリカのほかの言語との関係を提案する研究もありますが、現在まで、広く合意された系統関係は確立されていません。
そのため、ワラオ語をアラワク語族やカリブ語族へ単純に分類することは適切ではありません。GlottologのWarao語分類資料

話者数

2011年の資料をもとにした推計では、ベネズエラ国内のワラオ語話者は約36,000人とされています。Translators without Bordersのベネズエラ言語資料

これはワラオ民族全体の人口ではありません。
ワラオとしてのアイデンティティを持ちながら主にスペイン語を使う人、ワラオ語とスペイン語の両方を使う人、移住先でポルトガル語や英語を学ぶ人もいます。
一方、地域によっては、子どもを含む多くの住民が日常的にワラオ語を使っています。
したがって、ワラオ語の状況を「すでに使われていない言語」または「すべての地域で安全な言語」のどちらか一方だけで説明することはできません。

文法の特徴

ワラオ語では、単語に接尾辞などを付けることによって、人、数、時制、方向、関係などの情報を表します。

一つの単語が、スペイン語や日本語では複数の単語を必要とする意味を含む場合があります。
語順については、目的語・主語・動詞の順序、つまりOSVを基本とする分析が知られています。
ただし、実際の文では、情報の強調、会話の流れ、文の種類などによって語順が変化します。
そのため、「ワラO語ではすべての文が必ずOSVになる」と説明することはできません。Warao語の語順研究

法的な位置づけ

ベネズエラ憲法では、スペイン語を公用語とするとともに、先住民族の言語もそれぞれの人々にとって公的な言語であると定めています。

先住言語は、国と人類の文化遺産として尊重されるべきものとされています。米州機構掲載のベネズエラ憲法
ただし、憲法上の位置づけと、行政、医療、司法、学校で実際にワラオ語を使用できる環境が完全に一致しているわけではありません。
ワラオ語を話す教師、医療従事者、通訳、教材が不足している地域もあります。

文字と教育

ワラオ語には長い口承の伝統があります。
現在ではラテン文字を使って書かれ、辞書、文法書、聖書翻訳、学校教材、保健資料、物語集などが作られています。

ベネズエラでは、先住民族の子どもが自分の言語とスペイン語の両方で学ぶ異文化間二言語教育が制度化されています。
しかし、実際の授業内容、教材、教師の人数は地域によって異なります。
ブラジルへ移住したワラオの子どもにとっては、ワラオ語、スペイン語、ポルトガル語の三つが関係する場合があります。
ブラジルの一部地域では、ワラオの教師や地域代表者が、ワラオの言語、移住経験、学習方法に合った教育を求めています。UNICEFのワラオ児童の教育権に関する資料

言語の継承と移住

デルタの一部では、ワラオ語が家庭と地域社会の日常言語として受け継がれています。

一方、都市部では、学校、仕事、行政、医療などでスペイン語を使う機会が増えます。
ブラジルではポルトガル語、ガイアナでは英語やクレオールとの接触があります。
移住は言語の継承を弱める可能性がある一方、異なる地域から来たワラオが集まり、ワラオ語を共通語として使う新しいコミュニティを生み出すこともあります。
ワラオの教師、通訳、文化仲介者、保健活動家は、ワラオ語を使って制度とコミュニティを結ぶ役割を担っています。

基本的な表現

Yakeraは、挨拶として「こんにちは」に近い意味で使われる表現です。

文脈によって「よい」「ありがとう」などに近い意味を持つ場合もあります。
Yakera yarokotuは、「ようこそ」に近い表現として紹介されています。
ワラオ語にも地域差と話者による表現の違いがあります。
そのため、これらをすべての地域で発音と意味が完全に同じ唯一の表現として扱うことはできません。UNICEFのワラオ語による地域活動資料

伝統的な遊び・競技

ワラオ文化では、仕事、移動、子どもの遊び、身体技術が明確に分けられていない活動があります。

カヌーを漕ぐこと、水中で動くこと、魚を捕ることなど、生活に必要な技術が遊びや競い合いにつながる場合があります。
ただし、すべてのワラオ・コミュニティに共通する、一つの標準化された「民族スポーツ」があるわけではありません。

カヌーを使う技術と競走

カヌーをまっすぐ進め、狭い水路で方向を変え、流れや潮に対応するには、高度な技術が必要です。
子どもは家族と舟に乗りながら、櫂の使い方、舟の乗り降り、荷物の置き方、水上での安全などを学びます。
地域の文化行事や学校行事などで、カヌーの速さや操船を競う活動が行われる場合もあります。
しかし、距離、舟の大きさ、参加者、規則は地域と行事によって異なります。
これを古代から全ワラオが同じ規則で行ってきた競技として説明することはできません。

水泳と川での遊び

川沿いのコミュニティでは、水泳と水上での動きが生活技術の一部となる場合があります。
子どもたちは、大人の見守りのもとで泳いだり、水に飛び込んだり、小さな舟を扱ったりして遊ぶことがあります。
こうした活動は、身体能力だけでなく、水深、流れ、潮、危険な生物などを理解する学びとも結びついています。
ただし、都市部や陸上の集落で育つ子どもを含め、すべてのワラオが幼い頃から泳ぎやカヌーを学ぶわけではありません。

漁業技術の習得

釣り、網、罠、銛などを使う技術は、本来、食料を得るための実用的な知識です。
道具を正確に扱うこと、魚のいる場所を見つけること、適切な時間を選ぶことには経験が必要です。
若い人が大人の動作をまねたり、小さな道具で練習したりすることがありますが、これを単なる娯楽として扱うことは適切ではありません。
漁業は、家族の食料、仕事、環境知識と結びついた活動です。

現代スポーツ

現在のワラオの子どもや若者は、学校、町、移住先のコミュニティで、サッカー、野球、バレーボールなどを行うことがあります。
これらはワラオだけに固有の伝統競技ではありません。
しかし、現代スポーツへの参加と、ワラオとしての文化的アイデンティティは両立します。

よくある誤解

「すべてのワラオは水上家屋に暮らしている」

オリノコ・デルタには、高床式の住居で暮らすワラオのコミュニティがあります。
しかし、陸上の集落、トゥクピタなどの町、ベネズエラの大都市、ブラジルやガイアナの都市に暮らす人々もいます。
住居だけを見て、その人がワラオであるかどうかを判断することはできません。

「ワラオはカヌーだけで移動する」

デルタでは現在もカヌーやモーターボートが重要です。
一方、道路、バス、自動車、航空機などを利用するワラオもいます。
都市や国外で生活する人にとって、カヌーを使う機会がほとんどない場合もあります。
カヌーは重要な文化的存在ですが、現在のワラオの生活すべてを代表する唯一の交通手段ではありません。

「外部社会から隔絶されてきた」

ワラオは長い間、周辺の先住民族、ヨーロッパの商人、宣教師、政府、企業、都市の市場などと関わってきました。
金属製品、衣服、宗教、学校教育、船外機、携帯電話なども、地域や時代に応じて生活へ取り入れられています。
外部の物や技術を使うことは、ワラオとしてのアイデンティティを失うことではありません。

「すべてのワラオがワラオ語だけを話す」

ワラオ語を第一言語として使う人がいる一方、ワラオ語とスペイン語の二言語を使う人、主にスペイン語を話す人もいます。
ガイアナ、スリナム、ブラジルなどでは、英語、オランダ語、ポルトガル語、地域の共通語を使用する場合があります。
民族としての人口と、ワラオ語話者数を同じものとして扱うことはできません。

「環境に適応しているため支援を必要としない」

ワラオは、デルタの複雑な環境に関する高度な知識を持っています。
しかし、環境知識があることと、安全な飲み水、医療、教育、法的な保護が必要ないことは別の問題です。
河川の改変、塩水化、感染症、土地利用の変化、都市での差別などは、伝統的な知識だけで解決できる問題ではありません。
同時に、ワラオを外部から救われるだけの受動的な人々として描くことも適切ではありません。
ワラオの教師、医療従事者、代表者、通訳、研究者、芸術家、地域団体が、自分たちの課題と将来に関する意思決定へ参加しています。

現代のワラオ

現在のワラオは、オリノコ・デルタの川沿いだけでなく、ベネズエラ国内の町や都市、ガイアナ、スリナム、ブラジル、トリニダード・トバゴなど、さまざまな場所で暮らしています。

漁業、農業、植物採取、カヌー製作、工芸などを続ける人がいる一方、教育、医療、行政、通訳、商業、建設、観光、研究、芸術などに関わる人もいます。
ワラオ語を日常的に話す家庭、主にスペイン語を使う家庭、移住先でポルトガル語や英語を学ぶ家庭があります。
都市への移住によって文化が自動的に失われるわけではありません。
都市や国外のコミュニティでも、ワラオ語、家族関係、食事、ハンモックや籠の製作、歌、物語、地域の集会などを通じて、ワラオとしてのつながりが維持されています。

一方、国外への移住によって、先住民族としての権利と移民・難民としての制度が重なり、身分証明、教育、医療、住居、仕事などへのアクセスが複雑になることがあります。
子どもがポルトガル語だけの授業を理解できない、医療機関で症状を伝えられない、都市で工芸品の販売以外の仕事を見つけにくいといった問題もあります。
こうした状況に対応するため、ワラオの教師、通訳、文化仲介者、女性団体、地域代表者などが、行政機関や支援団体と協力しています。

ブラジルでは、ワラオを含むベネズエラ先住民族が、自分たちの将来、教育、文化、仕事、土地との関係についてまとめた「Life Plan」の作成にも参加しています。UNICEFのワラオを含む先住民族のLife Plan資料

川と湿地に関する知識、家族の支え合い、ワラオ語、カヌー、モリチェヤシ、手仕事、学校教育、都市での仕事、国境を越えた新しいコミュニティを通じて、ワラオの人々は自分たちの文化を現在へつないでいます。

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